ジャナ・アンドラン
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ジャナ・アンドラン(ネパール語:Jana Andolan)は1990年に起こったネパールの国民運動。
この運動は多くの政党による運動で、絶対君主制に終焉をもたらし、立憲民主制が開始された。これにより、パンチャヤット制は廃止された。
運動は多くの政党間の共闘によって特徴付けられる。「統一左翼連合」に集まった多くの共産主義政党だけでなく、ネパール会議派のような政党も協力した。 この共闘の一つの大きな成果は「ネパール統一共産党」(ネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派)の結成である。
2006年、ネパールの絶対王政の回復のあと、「ロクタントラ・アンドラン(民主化運動)」が起こり、再び多くの政党が共闘し、「ジャナ・アンドランII」とも呼ばれている。
1990年の国民運動は憲法を起草し、1990年11月に施行された。この憲法は、ビレンドラ国王の君主制から政府の決定をネパール国民に手渡した。集会や抗議行動を通じてビレンドラ国王は国民の新憲法を施行し、「国民が政治の正当性を確認する基準・・・そして基本的人権を保障する」と述べた。