ジミー・ヤン
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ジミー・ヤン | |
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プロフィール | |
リングネーム | ジミー・ヤン ジミー・ワン・ヤン アキオ(明夫) ユン・ヤン エイプマン |
本名 | ジミー・ヤン |
ニックネーム | カンフー・ドラゴン レッドネック |
身長 | 175cm |
体重 | 93kg |
誕生日 | 1981年5月13日(27歳) |
出身地 | アメリカ合衆国 カリフォルニア州ハリウッド |
所属 | WWE・スマックダウン |
トレーナー | WCWパワープラント |
デビュー | 1999年 |
ジミー・ヤン(Jimmy Yang、1981年5月13日 - )は、アメリカのジュニア・ヘビー級のプロレスラー。韓国系アメリカ人。カリフォルニア州ハリウッド出身。身長175cm、体重93kg。WWEのスマックダウン所属。
目次 |
[編集] 経歴
WCWパワープラント出身。WCWに所属していた2000年には、カズ・ハヤシ、ジェイミー・サンと共にヤング・ドラゴンズを結成。WCWがWWFに吸収された後の2001年3月、WWEを解雇された。その後、全日本プロレスに長期参戦する。全日本プロレスでは、まだ選手層の薄かった全日ジュニアを大いに盛り上げた。
その後再びWWEと契約を結ぶ。その際、リングネームをアキオ(明夫)と変更。2003年10月19日に行われたWWE SmackDown!の特番、「No Mercy」において、ケイジ・サコダと共にTAJIRIの用心棒の日本人としてWWE再登場。ヒールのタッグチーム「兄弟」を結成。TAJIRIとは有楽町の飲み屋で出会った、というギミックでの登場であった。TAJIRIがRAWに移籍した後もSmackDown!に残り、ムービースターというアングルで、道着(鈴木健想のコスチューム同様、日本風というより中国風であったが)を身に付け、常に無口であった。これはアジア的イメージの表現のため、また日本人ギミックでありながら本人が日本語をほとんど話せないことによると思われる。
2005年7月5日にWWEから解雇された。その年の解雇されるべきではなかった選手という投票では、高い数字を出しており、ファンも納得していなかった結果になった。
WWE解雇後は、もう一度WWEへの出戻りを目指すため、以前参戦した全日本プロレスには出ず、WWEの目の届きやすいアメリカでの活動に専念することにした。2005年10月1日より、ROHを主戦場としている。また、11月3日に行われたハッスル・マニアに登場。リングネームをジミー・ヤンに戻し、かつてチームを組んでいたカズ・ハヤシとのタッグで試合を行った。
2006年9月29日に、南部で生まれ育って3代、生粋の陽気なレッドネックであるという「黄色人種なのに南部男」Jimmy Wang YangというギミックでSmackDown!に再デビューを果たした。復帰デビューから2週続けて敗れるも、その後は素早い動きと空中技で勝利を重ね一定の人気を得る。現在はベビーフェイスである。
2007年に入ってからもクルーザー級部門のトップ選手として活躍し、7月にはトリー・ウィルソンをマネージャ兼タッグパートナーにつけ、ケニー・ダイクストラ&ヴィクトリア組と抗争している。
[編集] 得意技
- ムーンサルトアタック
- 現在のフィニッシュムーヴ。非常に高くフォームもきれいである。
- ヤンタイム
- カンクーントルネードと同型。
- ヤンタイムアタック
- ヤンタイムを立ってる相手に仕掛ける。
※アキオのリングネームを用いていた際は、技の名前が「ヤン」ではなく「アキオ」になっていた。
- ムーンサルトキック
- コーナーにもたれかかった相手の胸元を蹴って一回転する技。普通の使い手は、片足をロープなどに固定してからもう一方の足で蹴り上げ回転するのに対し、ジミーは直接相手の胸元を勢いよく蹴り上げて回転する。非常に高度な技であるため、足がすべって失敗することもある。
- その他足技多数
[編集] リングネーム
- Jimmy Wang Yang(ジミー・ワン・ヤン)現在WWEで使用中
- Jimmy Yang(ジミー・ヤン)
- Akio(アキオ)
[編集] タイトル履歴
- 中央アメリカミドル級王座 : 1回
全日本プロレス
- ジュニアタッグリーグ : 1回