シーザー・トーバー
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シーザー・トーバー(César Leonardo Tovar, 1940年7月3日 - 1994年7月14日)はベネズエラ・カラカス出身の元メジャーリーグ選手(外野手・内野手)。右投げ右打ち。ニックネームは"Pepito"、"Mr. Versatility"。
[編集] 経歴
1959年、シンシナティ・レッズと契約。1964年にミネソタ・ツインズに移籍し、1965年4月12日にメジャーデビュー。
1967年にはユーティリティープレーヤーとしてリーグ最多の164試合に出場し、得点、安打、二塁打、三塁打、盗塁、出塁率、死球、犠打すべてでベストテン入りした。同年のMVPの投票では、1位票20票のうち三冠王のカール・ヤストレムスキーに19票が入れられ、1票だけシーザー・トーバーに入れられている。
1968年9月22日のオークランド・アスレチックス戦では、バート・キャンパネリスに次ぐメジャー史上2人目の1試合全ポジション守備を記録した。1番投手で先発出場し、イニングごとに捕手→一塁手→二塁手→遊撃手→三塁手→左翼手→中堅手→右翼手とポジションを変え珍記録を達成した。ちなみに最初に対戦した打者はバート・キャンパネリスだった。試合は2対1でツインズが勝利した。
1969年5月18日のデトロイト・タイガース戦の3回裏には、ロッド・カルーと共にチームによる1イニング最多盗塁のメジャー記録を作った。トーバーが三盗・本盗、カルーが二盗・三盗・本盗を決め計5盗塁を記録した。1イニング本盗2個はメジャータイ記録だった。
1971年にはリーグ最多の204安打を打ち、キャリアハイの打率.311を記録。1972年9月19日にはサイクルヒットを達成した。
その後、フィリーズ、レンジャーズ、アスレチックス、ヤンキースでプレーし、1976年に引退。
1994年、ベネズエラ・カラカスで膵臓癌のため54歳で死去。
[編集] 通算成績
- 1448試合 5569打数1546安打 46本塁打 435打点 226盗塁 打率.278
[編集] 関連項目
- 高橋博士 - 1974年9月29日、日本プロ野球史上唯一の1試合全ポジション守備を記録。
- バート・キャンパネリス
- スコット・シェルドン
- シェーン・ホルター