シロヴィキ
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シロヴィキまたは、シロビキ(露: силовики́、силови́к、英: Silovik、Siloviki)は、ロシアの政治ジャーナリズム用語で、治安・国防関係省庁の職員とその出身者をさす。「シロヴィキ」の語源は、ロシア語で力、武力を意味する「シーラ[сила]」。
[編集] 概要
日本のジャーナリズムではいまだに「武力派」「武闘派」などと訳されることが多いが、これは誤解を生みやすい訳語であり、実際にはロシア語で「強硬派=タカ派」を意味するястребыという概念とは対応していない。ソ連解体後に登場したジャーナリズム用語であるため、概念や用法が十分に確立されているとは言いがたく、それが誤解の原因となっている。現代ロシアの政治評論では、ボリス・エリツィン政権及びウラジーミル・プーチン政権内の治安・国防機関の元出身者や、彼らが形成していると考えられている政治勢力をさす用語としても、しばしば用いられる。
[編集] 歴史
1993年エリツィンは、アレクサンドル・ルツコイ副大統領、ルスラン・ハズブラートフ最高会議議長ら反対派との対立を先鋭化させていった。エリツィンは、議会との妥協を断念し、話し合いではなくベールイ・ドーム(最高会議ビル、ホワイトハウス)を武力で攻撃し、反対派を沈黙させるに至った(モスクワ騒乱事件)。この事件をきっかけに、エリツィン政権は、軍や内務省などの武力省庁への依存を次第に強める結果となり、「シロヴィキ」の用語が生まれるようになっていった。
1996年大統領選挙でエリツィンは、決選投票で再選を果たす。第2期エリツィン政権では、エリツィンとその側近、そして一部の新興財閥(オリガルヒ)は、「セミヤー(ファミリー)」と呼ばれる癒着構造を形成するが、エリツィンは、自身の政権終了後も身の安泰を図り、よりよい後継者を模索していく。その過程で、エリツィンは結果として、シロヴィキのプーチンを抜擢することとなる。
プーチン大統領の誕生によって、ロシア政治に占めるシロヴィキの影響力は巨大なものになった。シロヴィキの中核は、プーチン自身が長官を務めた旧ソ連国家保安委員会(KGB)の後身であるロシア連邦保安庁(FSB)である。これに内務省(民警・ミリーツィヤ)と国防省(軍)などの武力省庁が加わる構図である。シロヴィキのロシアの政治エリートに占める割合は年々増加しつつあると考えられている。