シャー王朝
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シャー王朝(またはシャハ王朝 英:Shah dynasty )はネパールの王朝(1768年12月21日 - 2008年5月28日)。
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[編集] 前史
16世紀、ヤショブラマ・シャーがカスキ公国を征服し、インド・ムガール帝国のアクバル大帝から「シャー」の称号を授かる。1599年、ヤショブラマの子、ドラヴィヤ・シャーがゴルカ王国を確立。当時、ネパールは多くの独立した小国に分かれていた。1570年にドラヴィヤが死去するまで、彼は近隣諸国を征服し、王国の領土を拡大した。1743年、プリトゥビ・ナラヤン・シャーがゴルカ王を継承、ネパール統一に乗り出す。1768年9月、彼はネパール国王に即位する。
[編集] 絶対王政期(1768年-1990年)
1815年、グルカ戦争がネパールとイギリス東インド会社との間で勃発する。この戦いに敗れたネパールは、1816年、国土の1/3を失う。
19世紀中期、シャー王朝は宰相のラナ家に実権を奪われ、名ばかりの王家となる。シャー王家がその実権を取り戻したのは1951年のことである。
[編集] 立憲王政期(1990年-2008年)
1990年、ビレンドラ国王は憲法を制定、立憲君主制となる。 2001年6月1日、ネパール王族殺害事件により、ビレンドラ国王はじめ多くのシャー王家の構成員が死亡した。昏睡状態のディペンドラ皇太子が数日間王位についたが死亡し、叔父のギャネンドラが即位した。
2005年2月、ギャネンドラ国王は議会を解散し、政府の実権を掌握する。 彼の親政は2006年4月に終わり、ネパールの君主制と、シャー王朝はネパール制憲議会に委ねられることが決まる。2007年12月24日、王制は制憲議会開会とともに廃止されると発表される。
2008年5月28日、制憲議会の第一回の会議で、「連邦共和制」が宣言され、シャー王朝は終焉を迎えた。