シャボン玉こんにちは
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シャボン玉こんにちはは、1975年9月29日から1981年3月27日までにかけて、TBS系列で放映されていた生放送によるトークバラエティー番組(月~金の昼12:20-12:40、1978年9月まで12:25-12:40、1979年7月より「キンキンのこんにちは」と表示)。
目次 |
[編集] 概要
牛乳石鹸の一社提供(後期は牛乳石鹸ほか複数社提供)番組で、毎日、話題の歌手やタレントを招いてトークや歌を楽しむ。この番組は、ベルトクイズQ&Qの放送枠が短縮される形でスタートしたものである。
初代司会コンビである愛川欽也・うつみ宮土理はこの番組での共演が直接のきっかけとなり後に結婚に至った。その際、愛川は前妻と離婚した翌日にうつみと再婚をしたことから一部マスコミからは「略奪愛」などと騒がれ、これが1978年に愛川・うつみがそろって降板を余儀なくされる遠因となったと伝えられている(この番組の主な視聴者層が主婦層であり、その種の芸能ゴシップに敏感であったことが影響したといえる)。因みにこの愛川・うつみ時代に歌も出したことも話題となり(「マンマンマーチ」ほか)、時にはスタジオを離れて、全国各地からの生中継も行われたこともある。
[編集] 番組の終焉
あまりに「キンキン・ケロンパの番組」としてのイメージが番組と合致しすぎていたことや、裏番組の「アフタヌーンショー」(テレビ朝日)・「ひるのプレゼント」(NHK)・「お昼のワイドショー」(日本テレビ)がこの頃ちょうど番組の隆盛期を迎えようとしていた時期と重なってしまい、愛川交代後はその後番組は低迷。1979年には愛川を再登板させ、新アシスタントとして歌手の太田裕美を起用するなどのテコ入れ策がなされたが、更に1980年秋からフジテレビが時の漫才ブームの波に乗り異色の生放送バラエティー「笑ってる場合ですよ!」をスタートさせてからは更に低迷傾向に拍車がかかってしまい、結局、1981年春の改編を以て5年半の歴史にピリオドが打たれることとなった。
[編集] 歴代司会者
- 初代:愛川欽也・うつみ宮土理(キンキン・ケロンパ)-1975年9月~1978年6月
- 2代目:湯原昌幸・松岡きっこ(まーちゃん・きっこちゃん)-1978年7月~12月
- 3代目:山城新伍・浅井栄子(当時TBSアナウンサー)-1979年1月~6月
- 4代目:愛川欽也・太田裕美(キンキン・ヒロミ)-1979年7月~1981年3月
[編集] 関連項目
- TBS系列平日正午枠
- きんきんケロンパ歌謡曲(東京12チャンネル系)
- シャボン玉プレゼント(朝日放送制作の牛乳石鹼一社提供の番組で、コンセプト的には近い番組)
[編集] 番組終了後のスポンサー変遷
- 当番組終了後、TBS系での牛乳石鹸(社名は牛乳石鹸共進社)の提供番組枠は複数社の1社となり刑事ドラマシリーズを多く輩出していった水曜日夜8時枠へ移り「クイズ悪魔のささやき」の中期まで同枠で長らく提供されていく。
- その後1994年10月に水曜日夜9時~10時25分に放送されていた「情報スペースJ」へ提供が移るが、1996年4月にTBSビデオ問題の煽りを受け一時降板。避難先として数回「悪魔のささやき」にクレジットなしで提供されるなどして、1996年7月までに放送枠へ戻るが、その番組は1996年9月11日で終了。その後「わくわく動物ランド」のスポンサーだった縁で関口宏司会の「女神の天秤」「はばたけ!ペンギン」のスポンサーを提供したが「はばたけ!-」を最後にTBS系での牛乳石鹸提供枠は消滅した。
- このほかに、プロ野球中継の番組スポンサーとして提供されていた時期が多数あった。(「王道バラエティ つかみはOK!」や「はばたけ!ペンギン」の放送時30秒に縮小されていた時期あり。)
[編集] 番組の変遷
TBS系 平日12:20(1978年9月迄は12:25)-12:40 | ||
---|---|---|
前番組 | 番組名 | 次番組 |
ベルトクイズQ&Q
※12:00-12:40 |
シャボン玉こんにちは
(~1979年7月6日) |
キンキンのこんにちは
|
TBS系 平日12:20-12:40 | ||
シャボン玉こんにちは
|
キンキンのこんにちは
(1979年7月9日~) |
キンキン・祐子のおじゃましまーす
|