シアグリウス
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シアグリウス(羅:Afranius Syagrius、430年 - 486年あるいは487年)は、ガリアにおける最後の軍司令官(マギステル・ミリトゥム)であったアエギディウスの子。アエギディウスは西ローマ帝国が混乱しガリアに対する支配がゆるんでもなお、ソワソンを中心にローマ人の支配を維持した。464年にアエギディウスが死ぬと、シアグリウスはそれから486年にメロヴィング朝フランク王国のクローヴィスによって打倒されるまでの間、ガリアにできたこのローマ人の飛び地の支配者であった。
486年のソワソンの戦いで首都を失ったシアグリウスは、トゥールーズにあった西ゴート王アラリック2世の宮廷に逃れ庇護を訴えたが、逆に捕らえられてクローヴィスのもとへ送還された。そして487年に密かに刺殺された[1]。ゲルマン人たちによって「ローマ人たちの王」と呼ばれていたシアグリウスの死によって、ガリアにおけるローマ人の支配は終焉を迎えた。
[編集] 脚注
- ^ トゥールのグレゴリウスによる。