コンチネンタル (映画)
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コンチネンタル The Gay Divorcee |
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監督 | マーク・サンドリッチ |
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製作総指揮 | パンドロ・S・バーマン |
出演者 | フレッド・アステア ジンジャー・ロジャース アリス・ブラディ ベティ・グレイブル |
音楽 | コン・コンラッド マックス・スタイナー |
主題歌 | A Needle In a Haystack |
配給 | RKOスタジオ |
公開 | 1935年4月 |
上映時間 | 107分 |
製作国 | アメリカ合衆国 |
言語 | 英語 |
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IMDb | |
コンチネンタル(原題The Gay Divorcee)は1934年に公開されたRKOスタジオ製作のミュージカル映画。フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースのコンビによる初主演作品で、当時の観客から熱狂的な支持を受け、ミュージカル映画史に時代を画する傑作となった。なお邦題には戦後再公開の際に「離婚協奏曲」の副題が加えられている。
前作『空中レビュー時代』(1933年/PKO)で初共演し、「キャリオカ」のナンバーによって人気を博したアステアとロジャースのコンビは、当時経営の低迷していたRKO社にとって願ってもない救い水であった。製作主任パンドロ・S・バーマンはさっそく二人の主演映画を企画し、映画入りする前のアステアが1932年に主演したブロードウェイミュージカル『The Gay Divorce(陽気な離婚)』の権利を3万5000ドルで獲得した。同作はニューヨークで248回の上演記録を持つヒット作で、音楽をコール・ポーターが担当。後に彼の代表作となる『夜も昼も』Day and Nightが初演されたのもこの舞台であった。
アステアは『空中――』の撮影後『陽気な離婚』のロンドン公演のために渡英中バーマンからの連絡を受けて次作への出演を快諾するが、『陽気な――』のストーリーが映画向きではないこと、ジンジャー・ロジャースとの再共演によって観客から飽きられるのではないかという危機感を持ったこと(アステアは舞台人・映画人としての生涯を通じて、自分のパフォーマンスがあらゆる点においてワン・パターンとなり、観客から飽きられることに対して恐怖感を持っていた)などから契約交渉は難航。最終的に当時としては異例のことながら、出演料のほかに興行収益1%の歩合収入と、ミュージカル・シークエンスの製作についてはすべてを一任するという条件で、バーマンはアステアに出演を契約させた。
映画化にあたっては『夜も昼も』以外の舞台版歌曲はすべて削られ、ハリー・レヴェルとマーク・ゴードンによる『Don't Let It Bother You』と『Let's K-nock K-nees』、コン・コンラッドとハーブ・マジソンとによる『A Needle In a Haystack』と『The Continental』の4曲が書きおろされた。最大の見せ場は舞台版以来の『夜も昼も』と『コンチネンタル』のプロダクション・ナンバーで、前者ではアステアとロジャースの優雅な名人芸が惜しみなく披露され、後者では17分にわたって数十人のエキストラダンサーを用いた群舞で観客の度肝を抜いた。『コンチネンタル』はこの年創設されたアカデミー賞主題歌部門で受賞し(『夜も昼も』も名曲であったが映画オリジナルではないという理由でノミネートされなかった)、そのほか作品、室内装置、録音、作曲の4部門にノミネートされた。
本作は公開後スタジオの予想を大きく上回る大ヒット作となり、アステアとロジャースは不動の名コンビとして「マネー・メイキング・スターズ」(金の稼げるスター)と謳われた。同じ女優と共演しつづけることを嫌うアステア、演技派女優としてのキャリアを志向していたロジャースの思惑とは裏腹に、以後『ロバータ』(35)、『トップ・ハット』(35)、『艦隊を追って』(36)、『有頂天時代』(36)、『踊らん哉』(37)、『気儘時代』(38)、『カッスル夫妻』(39)と7年の間に9作がこのコンビで製作され、RKOの経営状態は一時的に上向くことになった。