コンスタンティヌス2世
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コンスタンティヌス2世(Constantin II 316年 - 340年)は、ローマ帝国の共同皇帝(在位337年~340年)
コンスタンティヌス1世とファウスタ(マクシミアヌス帝の娘)の間に長男として生まれるが母親は不義密通の罪で処刑された。宦官が取り仕切る宮廷内で他の二人の兄弟とともに育てられ、337年に死去した父親の葬儀はコンスタンティノープルで行われたが、滞在地の距離から参加しなかった。葬儀のしばらく後で、コンスタンティノープルにいる親族は粛清されることとなる(首謀者はおそらく次男コンスタンティウス2世)。この後、3人の息子は会談を行い揃って即位した。彼は帝国全土に及ぶ権威を有していたが、実際には3人とも独立君主として政治を行った。ブリタニア、ガリア、ヒスパニアを統治していたが、三男コンスタンスに北アフリカの領土の分割を要求。拒否されたためアルプスを越えて、弟の領土へ攻め込んだ。340年春北イタリアへ侵攻するが、事前の準備が不十分だったことからアクィレイア近くで行われた戦闘で捕らえられ、殺されてしまった。
[編集] 関連作品
- 塩野七生 『ローマ人の物語XIV キリストの勝利』(小説)2005年
[編集] 外部リンク
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