ケント・デザーモ
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ケント・デザーモ(Kent Desormeaux、1970年2月27日 - )はアメリカルイジアナ州ヴァーミリオン郡出身の競馬騎手である。
[編集] アメリカでの活躍
1986年に見習い騎手免許を取得。1987年に最優秀見習い騎手となり、1989年には年間で598勝をマーク。これは年間勝利数の世界記録である。1995年には北米で最年少の通算3000勝を挙げた騎手。2004年にはアメリカ競馬殿堂に選出された。
主なGIレース
- ブリーダーズカップ・スプリント - 1995年デザートストーマー
- ブリーダーズカップ・ターフ - 1993年コタシャーン
- ケンタッキーダービー - 1998年リアルクワイエット、2000年フサイチペガサス、2008年ビッグブラウン
- プリークネスステークス - 1998年リアルクワイエット。2008年ビッグブラウン
- サンタアニタハンデキャップ - 2002年ミルウォーキーブルー
- ピムリコスペシャルハンデキャップ - 2000年ゴールデンミサイル
[編集] 日本での活躍
1993年のジャパンカップでコタシャーンに騎乗。直線一気に伸びるが、残り100mのハロン棒をゴール板と勘違いし立ち上がるハプニングを起こす。すぐ気がつき追い出すがレガシーワールドには追いつけず、3着のウイニングチケットとはアタマ差の接戦だった。1998年12月6日の阪神競馬場で日本初勝利を挙げる。
短期免許で来日したのは2001年が初。家庭の事情で来日(後述)。この年レディパステルで優駿牝馬(オークス)を制する。さらにマキバスナイパーで帝王賞、ブロードアピールでプロキオンステークス、ノボジャックで北海道スプリントカップを制するなど大活躍し、秋にも来日する予定だったがアメリカ同時多発テロの影響で断念した。ちなみに、春2ヶ月間の騎乗で、この年のJRA賞最高勝率騎手賞を獲得している。以後2002年、2003年、2005年にも来日。2003年の来日ではゼンノロブロイで神戸新聞杯を制した。
2005年の朝日杯フューチュリティステークスでは1番人気のジャリスコライトに騎乗したが直線で鞭を落とし、手で馬を叩くという荒業(俗に言う「手ムチ」)を見せたが3着に敗れた。 初めて覚えた日本語は「タマゴサンド」で、朝食時に調整ルームで困っていたところ、田中勝春から教えてもらったという。
[編集] デザーモ来日の理由
2000年に次男のジェイコフが生まれながらにして耳が聞こえない事が判明。その後2度の手術を施しジェイコフは音に反応を示すようになった。息子の治療に専念したいデザーモだったが、アメリカ合衆国では日本やヨーロッパと違い常にどこかで競馬が行われており、その騎乗依頼断るわけにもいかない。そこで、競馬の開催が基本的に土日に限られていて、平日はトレーニングセンターの滞在が多い日本の短期免許に興味を示し2001年4月に来日した。日本ではジェイコフを定期的に病院に通院させながら、家族との団欒を中心に置いた。また2ヶ月の短期免許が切れると、今度は地方競馬の短期免許を取得した。
このデザーモとジェイコフの奮闘は中央公論社の婦人公論(2001年8月号)に掲載、さらにフジテレビ「奇跡体験!アンビリバボー」でも2001年7月19日放送分で取り上げられた。
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