ノート:キリスト教
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[編集] 脚注のスタイルについて
利用者:黒の聖書さんの精力的な整理・編集、ありがとうございます。ただ、脚注・参考文献の書式については、このノートなどで合意いただけたらなと考えました。例えば、利用者:黒の聖書さんの編集では脚注の文献から著者名が削られています。参考文献をみれば著者名は書いてあるからという理由からだろうとは推察しますが、調べ物をする立場からみると少し不便になった感じがします。紙媒体の百科事典あるいは論文誌などでは軽量化を図る意味で簡略化された表記方法が工夫されてきたという歴史がありますが、こうした電子媒体の百科事典で利便性を損ねてまで記述を圧縮する必要は無いような気がするのですが、いかがでしょうか。--おーた 2008年4月15日 (火) 22:33 (UTC)
- 著者名・ISBN・出版社名、いずれも削る必要は聊かも無いと考えます…。特に「世界宗教史」など、どこにでもありそうな書名については、むしろ将来「出典情報不足」と突っ込まれる危険性すらあります。またその際、履歴を辿って復元する事に一定の困難が伴う以上、これらは早急に復元されるべきとすら思います。--Kliment A.K. 2008年4月17日 (木) 00:14 (UTC)
混乱を招いてしまったようで申し訳ありません。
脚註の書式ですが、おーた さんの考える「参考文献をみれば著者名は書いてあるからという理由から」というのはちょっと違います。正確には、「毎回毎回すべて書くと、これだけ脚註がある記事だと長くなりすぎるであろうから」です。だから初出の際には完全な書式で書き、2回目以降は書名と参照ページ数のみに省略、という形にしています。たとえば Kliment A.K. さんが挙げた『世界宗教史』ですと、脚註18. で「ミルチア・エリアーデ『世界宗教史 II』筑摩書房、1991年、370頁」と書いているので、19. 以降は「『世界宗教史 III』184-185頁」や「『世界宗教史 II』291-292頁」ですね。
ISBN に関しては おーた さんの推測どおり、「参考文献」の節にすべて書いてあるからです。こちらは、脚註欄にいちいち「ISBN XXXXXXXXXXXXX」と何度も青字が出てきては煩雑で見づらいのではないかとの思いから削りました。代わりに(と言っては変ですが)それまで載っていなかった ISBN もアマゾンや出版社サイトでほぼすべて調べて補完した上で13桁に直し、「参考文献」に記載したので、それで十分だろうと判断したのですが、配慮が足りなかったようですね……。--黒の聖書 2008年4月17日 (木) 11:13 (UTC)
- ご回答ありがとうございます。で、黒の聖書さんの意図するところは十分理解できるのですが、Wikipediaでは必要ないと思いますし、むしろ問題を孕んだのではないかと考えます。すでに書いたように、紙資源の節約という観点からはWikipediaはフリーです。脚注や参考文献の書式を考える場合、字数の節約より可読性とメンテナンス性を考えなければいけないのではないでしょうか。
- いろいろあって、現在のキリスト教の脚注は75個です。私は、エリアーデの『世界宗教史』を結構便利に使ってしまったので、引用番号は18から43まで散っています。しかも初出の18は書名が冒頭に出ていないので、43あたりで『世界宗教史』を拾った読者が、「はて、誰の『世界宗教史』だ?」と思ったとするとかなり苦労しそうです。43ならまだしも、76個目あたりに新たに『世界宗教史』を引用したりすると、かなり絶望的です。(いま、『MLA英語論文の手引き 第6版』で確認しましたが、「ibid.」「op.cit.」のような省略形は推奨しないと明記されていました。英語論文で、ibid.が出てきて戸惑った経験があるので、このガイドラインは個人的に納得です。省略しないで済むなら、むやみな省略はしないほうがよいのです。)
- それからメンテナンス性のことも考えたいのです。将来、どなたかが別の誰かの『世界宗教史』を引用したとして、そのとき目にした脚注のフォーマットに従ってタイトルとページ数のみを記した場合を想定ください。あるいは、その編集者が新たな著者名付きで『世界宗教史』を引用した場合を考えていただいても良いのですが、その編集者が既出の著者名抜きの『世界宗教史』にどれだけ気を回すかははなはだ心もとないものがあります。そうなると、どちらの著者の『世界宗教史』だか分らない脚注が発生してしまいます。あるいは、ある編集者が脚注のことを一切考えずに参考文献の差し替えをやってしまうことも考えられます。つまり、黒の聖書さんが脚注と参考文献を連携させたような、きめこまやかな配慮を無視して、編集が進んでしまう可能性があります。そうなると、復旧は大変です。
- この項目は履歴を見る限り膨大な人々が編集に関わっていますが、皆さんが永続的に関わってきたわけではありません。すっきりとしたスタイルに拘るよりも、不特定多数の後続編集者に分りやすい形で記事を残したほうが良い、と私は考えます。ご面倒ですが、脚注と参考文献のスタイルを復旧していただけませんでしょうか。--おーた 2008年4月17日 (木) 13:42 (UTC)
- 言葉が足りなかったように思いますので補足させて頂きます。利用者:黒の聖書さんの意図と作業につきましては意義無しとはしません。私の方針・感性(包摂主義的な立場)には合いませんが、一定の合理性はあると思われます。しかしながら黒の聖書さんや、他限られた数の編集者(少なくともこの議論の経緯に直接関っている、同時進行的に関っている編集者)だけが作成に関るのであれば問題は少ないのですが、おーたさんご指摘の通り、半永続的に編集作業が進行するウィキペディアにおいては黒の聖書さんの折角の配慮が裏目に出る局面が多くなると存じます。--Kliment A.K. 2008年4月17日 (木) 13:51 (UTC)
先ほど脚註のスタイルを復旧しました。却って煩雑になった気もしますが、それ以前の編集で現状での体裁を優先しすぎていたようですので、この方が良いのでしょうね。直してから気づいたのですが、ISBN に限っては記載は任意のようですので、重複する場合は書かなくてもよかったのかもしれません。
ところで「ご面倒ですが、脚注と参考文献のスタイルを復旧していただけませんでしょうか」とのことですが、この場合「参考文献のスタイル」とはいつの時点のものを指すのでしょうか。僕が最初に編集する前の版であれば、記載されている書籍数が大幅に減り、絶版・復刊などの情報も消えてしまいますが……。--黒の聖書 2008年4月17日 (木) 17:38 (UTC)
- スタイルの復旧、ありがとうございます。無理して黒の聖書さん以前バージョンに戻す必要はありません。黒の聖書さんの綿密な作業ですごく充実した脚注と参考文献になっていますから。本当に感謝します。
- キリスト教関連記事は、結構重要な項目でもまだまだ改良の余地がある記事がたくさん残っています。黒の聖書さんさえよろしければ、それらの記事にも力を貸していただければと、勝手なことを思っています。どうぞ、これからもよろしくお願いします。--おーた 2008年4月18日 (金) 14:21 (UTC)
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- 黒の聖書さん、対処に感謝します、ありがとうございます。--Kliment A.K. 2008年4月18日 (金) 16:41 (UTC)