オレゴン (戦艦)
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艦歴 | |
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発注: | 1890年6月30日 |
起工: | 1891年11月19日 |
進水: | 1893年10月26日 |
就役: | 1896年7月15日 |
退役: | 1919年10月4日 |
その後: | スクラップとして売却 |
性能諸元 | |
排水量: | 基準:10,288 トン、 満載:11,688 トン |
全長: | 351 ft、348 ft(水線長) |
全幅: | 69 ft |
吃水: | 24 ft、27 ft(最大) |
機関: | |
最大速: | 16ノット |
航続距離: | |
兵員: | 士官、兵員737名 |
兵装: | 13インチ砲4門 8インチ砲8門 6インチ砲4門 6ポンド砲20門 1ポンド砲6門 18インチ魚雷発射管6門 |
航空機: | |
モットー: |
オレゴン(USS Oregon, BB-3/IX-22)は、アメリカ海軍の戦艦。インディアナ級戦艦の3番艦。艦名はオレゴン州に因む。
目次 |
[編集] 艦歴
オレゴンは1891年11月19日にカリフォルニア州サンフランシスコのユニオン鉄工所で起工し、1893年10月26日にデイジー・エインズワースによって命名、進水、1896年7月15日に初代艦長H・L・ホーウィソン大佐の指揮下就役した。
就役後オレゴンは、太平洋ステーションでの短期任務のための艤装が行われた。
[編集] 米西戦争
オレゴンは1898年2月16日に乾ドックを出渠する。その前日、ハバナ湾でメイン (USS Maine, ACR-1) の爆沈事件が発生し、スペインとの緊張が高まるとともに、3月9日にオレゴンはサンフランシスコに到着し弾薬を積み込んだ。3日後オレゴンは最も歴史的な巡航の内の一つとなる命令を受け取る。
オレゴンは3月19日にサンフランシスコを出航しペルーのカヤオに向かう。4月4日にカヤオに到着、南アメリカの周辺から東海岸への巡航で、スペイン軍との切迫した状況における最初の給炭作業が行われ、数日後に出航した。艦長のチャールズ・E・クラーク大佐はチリのバルパライソには停泊せず、マゼラン海峡を通過することを決定した。4月16日にオレゴンは海峡に入るが、強風により岩の多い海岸線は見通しが悪くなり、一時的に危険な状態となる。ちょうど日没後に小島と暗礁の間に投錨して停泊、安全な夜を過ごす。17日の夜明け前に風は弱まり、オレゴンはフォワード岬からプンタアレナスに向かい、砲艦マリエッタ (USS Marietta, PG-15) と合流、東海岸へ向かう。
両艦は石炭を補給し、4月21日にリオデジャネイロに向かう。同海域にはスペインの魚雷艇がいると噂されていたため、両艦の砲手は戦闘態勢を維持していた。波と向かい風のため巡航は遅れ、4月30日までリオデジャネイロには到着しなかった。リオデジャネイロでオレゴンはスペインとの戦争状態に関する議会の宣言に関する報せを受け取る。5月4日にオレゴンは出航し、ブラジルのバイアに停泊後、5月18日にバルバドスに燃料補給のため到着する。24日にフロリダ州ジュピターに停泊し、戦闘態勢が完了したことを報告する。オレゴンは66日前にサンフランシスコを出航し14,000マイル以上を航海した。
記録的な航海は人々に称賛され、これを讃える歌も作られた。「オレゴンのレース The Race of the Oregon」はジョン・ジェームズ・ミーハンによって作られた。
- Lights out! And a prow turned toward the South,
- And a canvas hiding each cannon's mouth
- And a ship like a silent ghost released
- Is seeking her sister ships in the East.
- When your boys shall ask what the guns are for,
- Then tell them the tale of the Spanish war,
- And the breathless millions that looked upon
- The matchless race of the Oregon.
一方、航海では巨大な戦艦が様々な状態で多くの能力を発揮することを実証した。他方では、この巡航がパナマ運河建造の反対意見を全て押し流すこととなった。オレゴンの記録的な巡航では、パナマ運河の利用が可能であれば74日間の遅れが約3週間までカットされていた。このことはパナマで失敗したフランスの事業をアメリカ合衆国が買い取り、運河を完成させるのを説得するのに大きく役立つこととなった。
5月26日にオレゴンはキーウェストの海軍基地へ向かい、2日後にサンプソン提督の艦隊に合流、7月1日にサンティアーゴ・デ・クーバに到着し、艦砲射撃と3日のセルベラ提督の艦隊に対する攻撃を支援した。オレゴンはその奮戦で「マッキンレーのブルドッグ McKinley's Bulldog」の愛称で呼ばれ、その後ニューヨーク海軍工廠で修理を行い、1898年10月にアジア戦隊に戻る。
[編集] 後の軍役
[編集] ポートランドでの停泊
[編集] 解体
1956年日本で売却、解体される。鎖の一部は横須賀基地にて保存されている。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- Maritimequest USS Oregon BB-3 Photo Gallery
- http://www.spanamwar.com/oregon.htm
- Oregon (Battleship No. 3) from the Dictionary of American Naval Fighting Ships
- A Chronicle of the Battleship Oregon from the journal of the Oregon Historical Society, with numerous photographs
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