イワンのばか
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イワンのばか(イワンの馬鹿)はロシアの民話にしばしば登場する男性キャラクター。極めて純朴愚直な男ではあるが最後には幸運を手にすることが多い。ロシア語では「Иван-дурак」 もしくは「Иванушка-дурачок」(短縮形)。
日本では帝政ロシア時代の小説家レフ・トルストイによる彼を主人公とした作品で特によく知られ、長谷川天渓訳『大悪魔と小悪魔』(1902年・雑誌『少年世界』に連載)や内田魯庵訳『馬鹿者イワン』(1902年・雑誌『学鐙』に連載)などをはじめ多くの和訳がある[1]。以下はこの作品についての説明である。
目次 |
[編集] 制作と発表年代
1885年9月頃に書かれたが、発表されたのは翌1886年である。原題は"Сказка об Иване-дураке и его двух братьях: Семене-воине и Тарасе-брюхане, и немой сестре Маланье, и о старом дьяволе и трех чертенятах."(『イワンのばかとその二人の兄、軍人のセミョーンとたいこ腹のタラスと、口のきけない妹マラーニャと大悪魔と三匹の小悪魔の話』[2])で、和訳の題は『イワンのばか』、『イワンの馬鹿』、『大悪魔と小悪魔』、『馬鹿者イワン』、『イワンのまぬけ』、『イワンのばかとその二人の兄弟』など。
[編集] あらすじ
昔ある国に、軍人のセミョーン、布袋腹のタラース、ばかのイワンと、彼らの妹で啞(おし)のマルタの4兄弟がいた。
ある日、二人の兄は、都会へ出て出世したいので、財産を分けてほしいと父親に言った。父親がイワンにそのことを言うと、ばかのイワンは、「どうぞみんな二人に分けてお上げなさい」というので、父親はその通りにし、セミョーンは軍人に、タラースはそれを元手に商人になり、ともに出世して良い家庭を持ったが、イワンだけは毎日黙々と働き、両親と妹を養っていた。
3人の間に諍いが起きるとねらっていた悪魔は、何も起こらなかったのに腹を立て、3匹の小悪魔を使って3人の兄弟にちょっかいを出す。権力欲の権化であるセミョーンと、金銭欲の象徴のようなタラースは、小悪魔にだまされてスッカラカンになるが、ばかのイワンだけは、いくら悪魔が痛めても屈服せず、小悪魔たちを捕まえてしまう。小悪魔たちは、一振りすると兵隊や金貨がいくらでも出てくる魔法の穂や、どんな病気にも効く木のねっこを出して助けを求める。小悪魔を逃がしてやるとき、「イエス様がおまえにお恵みをくださるように」と言ったので、地中深く入って二度と出てこなかった。イワンは手に入れた宝で、それで戦争をしたり贅沢をしたりするわけではなく、兵隊には踊らせたり唄わせたりして楽しみ、金貨は女や子どもにアクセサリーやおもちゃとして与えてしまう。
無一文になった二人の兄が、イワンの所にかえってくると、イワンは喜んで養ってやったが、女房たちが「こんな百姓家には住めない」というと、お金だけを渡してやる。
二人の兄はその金を元手にして、やがて王様になり、イワンは、住んでいる国の王女が難病になったとき、小悪魔からもらった木のねっこで助けたので、王女の婿になって王様になった。しかし、人民を徴兵して戦争をしたり、年貢を取り立てて贅沢をするわけではなく、ただ人民の先頭に立って黙々と働いた。イワンの王国の掟は、「働いて手にたこがある者だけ、食べる権利がある。手にたこのないものはそのお余りを食べよ」と言うことだけだった。
ある日、小悪魔を取られた大悪魔は、商人に化けて兄弟たちの所にやってくる。二人の兄は、悪魔にだまされて戦争をしたり怪しげな商売に手を出して再び無一物になるが、イワンの国では、人民は皆ばかで、ただ働くだけなので、悪魔にだまされない。悪魔は、手で働くより、頭を使って働いた方が、楽をして儲けることができると、王や人民に演説し、金貨をばらまくが、イワンの国ではみんな衣食住は満ち足りており、金を見ても誰もほしがらない。そればかりか、悪魔は金で家や食べ物を買うこともできず、衰弱して行く。
その日も悪魔は、高い櫓の上で、頭で働くことの意義を演説していたが、とうとう力尽きて、頭でとんとんとはしごを一段一段たたきながら地上に落ちた。ばかのイワンはそれを見て、「頭で働くとはこのことか。これでは頭にたこよりも大きなこぶができるだろう。どんな仕事ができたか見てやろう」と、悪魔の所にやってくるが、ただ地が裂けて、悪魔は穴に吸い込まれてしまっただけだった。
[編集] 教訓
この作品は、童話といっても中編の小説くらいのボリュームがあり、動きの遅いところや繰り返しの所もあり、小さな子どもが読んでおもしろい作品ではない。「悪魔」が出てきて現実離れしたことをするが、童話の形を借りた大人へのメッセージの色彩のほうが強い。
セミョーンとタラースが、権力欲、金銭欲の象徴として描かれ、小賢しいことをして「濡れ手に粟」の金儲けをすることの、むなしさ、はかなさを訴えるとともに、国家における帝国主義、植民地からの搾取などの行為のおぞましさを訴えたものと取ることもできる。
「ばか」とは、愚直さのことで、ロシア正教の価値観、また、ロシア人の宗教観、人生観などをあらわしたものである。
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
- 和訳:『イワンの馬鹿』(青空文庫) 菊池寛訳『小學生全集第十七卷 外国文藝童話集上卷』興文社、文藝春秋社、1928年。
- 原文:"Сказка об Иване-дураке и его двух братьях: Семене-воине и Тарасе-брюхане, и немой сестре Маланье, и о старом дьяволе и трех чертенятах" (skazka.com.ru)