イアン・ギラン
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イアン・ギラン(Ian Gillan, 1945年8月19日 - )は、イギリス出身のロックヴォーカリスト。
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[編集] 略歴
エルヴィス・プレスリーに憧れたのがきっかけで1962年にガース・ロケット・アンド・ザ・ムーンシャイナーズというアマチュア・バンドを結成し音楽活動を始めた(当初ヴォーカルとドラムを兼任していたが、程なくしてヴォーカル専任になる、ギターも弾ける)。その後セミプロ・バンドのザ・ジャヴェリンズを経て1965年にプロ・バンドのエピソード・シックスに参加。1969年、同じエピソード・シックスのメンバーだったロジャー・グローヴァーと共に第2期ディープ・パープルメンバーとして加入。金切り声を立てる独特のヴォーカル・スタイルは後のヘヴィメタルヴォーカリストにも大きな影響を与え、「チャイルド・イン・タイム」は彼のヴォーカルを生かした名曲として知られている。
1973年にギタリスト、リッチー・ブラックモアとの確執が原因で脱退、一時引退していたが1976年にイアン・ギラン・バンド(IGB)を結成、ディープ・パープルとは趣の異なるポップ・サウンドながら日本では人気を博すものの、音楽性の相違などでメンバーが脱退、新たなメンバー加入を期にバンド名をギラン(Gillan)と改め、ディープ・パープルばりのハード・ロック・スタイルで本国イギリスでは同じディープ・パープル出身メンバーのバンドだったレインボウ、ホワイトスネイク以上の人気を獲得する。
1983年のギラン解散後はブラック・サバスに加入して双方のファンを驚かせたが、アルバム1枚を残して脱退し、再結成ディープ・パープルに参加。その後リッチー・ブラックモアとの確執の再燃、突然の解雇、再加入、リッチー・ブラックモアの脱退など紆余曲折あったが、現在もバンドのメンバーとして活動中。
2006年には、歌手生活40周年を記念したセルフカヴァーアルバム『Gillan's Inn』をリリース。
[編集] その他
- 意外にも、一番好きなヴォーカリストとして第1期ディープ・パープルのロッド・エヴァンスを挙げている。
- リッチー・ブラックモアとは犬猿の仲として知られているが、お互いの才能は認め合っていて、かつてはロニー・ジェイムス・ディオ脱退後のレインボウに加入を打診されたこともある。リッチー・ブラックモアは、電話で直接ギランに「戻ってこい」と催促をしたが、結局ギランは断った。
- エピソード・シックス時代、最初の結婚と離婚を経験している。
- 現在の妻(ブロン)との間に娘(グレース)がいる。
- 妹のポーリーン・ギランもかつてはミュージシャンとして『Hearts Of Fire』というアルバムを残している。
- 1970年にはミュージカルの鬼才ティム・ライス作詞、アンドルー・ロイド・ウェバー作曲でイエス・キリストの最後の7日間を描いたミュージカル「ジーザスクライスト・スーパースター」の主役として、イボンヌ・エリマンらとともに参加している(ミュージカルの舞台には出ていないが舞台化前の録音を残している)。1973年の映画化に際しても主役としてオファーがあったが、既に決まっていたディープ・パープルのツアーと重なるためマネージャーが断ったという逸話がある。
- 2006年発売のXBOX360用ソフト「ブルードラゴン」の音楽に参加している。
[編集] 声の変遷
[編集] エピソード・シックス時代(1965年 - 1969年)
初期は、後のスタイルとは趣が異なるソフトな歌唱も聴かせている(ビートルズのカヴァー「ヒア・ゼア・アンド・エブリホェア」等)。後期は作風を徐々にロックへと転換、ギラン自身もロジャー・グローヴァーと共同で曲を書くようになり、そのギランとロジャーの共作による「ミスター・ユニヴァース」(ギラン時代にも同名曲があるが別曲)では既に独特のシャウトとスクリーミングを聴かせている。
[編集] ディープ・パープル時代(1969年 - 1973年)
スタジオ盤の3部作『イン・ロック』『ファイアー・ボール』『マシン・ヘッド』、ライヴ盤『ライブ・イン・ジャパン』での高音ヴォーカルと金属的なスクリーミングは、後のハードロック・ヘヴィメタルのヴォーカリストに影響を与えることになる。
ディープ・パープル参加直後からソロ活動を見据えて曲を幾つか書いており、1975年頃よりデモ・テープを製作、その音源は後に『シャーカズー&アザー・ストーリーズ』としてリリースされており、様々なスタイルのヴォーカルを聴く事が出来る。
[編集] イアン・ギラン・バンド時代(1976年 - 1978年)
ディープ・パープル時代にはあまり聴かせる事が無かった、中音域で歪ませるR&Bスタイルが中心となる。
[編集] ギラン時代(1978年 - 1983年)
初期は金属的なスクリーミングが影を潜め、吐き出すようなシャウトを多用するようになる。後期は徐々に(喉へのダメージ軽減を意識してか)かなりファルセットの強いスクリーミングを聴かせている。この頃から、MCで声の擦れが確認出来るほど声質に変化が現れる。
[編集] ブラック・サバス時代(1983年)
一枚限りの参加作品『悪魔の落とし子』でのヴォーカルは、ギラン末期に喉にトラブルを抱えてからあまり間を置かずに製作された為か、若干濁っている。
[編集] 再結成ディープ・パープル時代(1)(1984年 - 1988年)
鼻から抜けた感じのヴォーカル・スタイルが、ロック・ファンから「フニャった」と形容される(長年のライヴ活動によって培われた、喉を痛めにくい発声法ではある)。
[編集] 「イアン・ギラン」時代(1989年 - 1992年)
この間、『ネイキッド・サンダー』『トゥール・ボックス』の2作品を発表している。後者では、全盛期以来とも思えるスクリーミングの連発を聴かせている。
[編集] 再結成ディープ・パープル時代(2)(1993年以降)
メンバー復帰直後(リッチー・ブラックモア脱退直前)のライヴを収めた『ライヴ・紫の閃光』での「チャイルド・イン・タイム」でスクリーミングの最高音部が出なかった「事件」は未だにファンの間では語り草となっている(現在では「チャイルド・イン・タイム」は殆ど演奏していない)。
近年では、スクリーミングは時期により好不調の波があり、オリジナルよりキーを下げている曲も数曲あるが、フェイクは少ない(元々アルバム・ヴァージョンのメロディを大きく崩すタイプのヴォーカリストではない)。
[編集] 外部リンク
- Ian Gillan - Caramba! (公式サイト) (日本語)
- Gillan's Inn (ギランズ・イン公式サイト) (英語)