アーノルト (鉄道模型)
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かつてはドイツにおいて独立したメーカーとして開発、生産を行っていたが、リマ・リバロッシグループの傘下に入り、現在ではホーンビィの傘下でNゲージのブランドとして存続している。Nゲージの標準的な連結器であるアーノルトカプラーにその名を残す、Nゲージのシステムの先駆者である。
[編集] 歴史
1906年にKarl ArnoldによってニュルンベルクにK. Arnold & Coが設立された。ブリキ製の玩具や雑貨を製造する会社だった。やがて、船舶模型やドールハウスの製造販売にも乗り出す。 1935年にK. Arnold & CoはMax Ernstを雇った。同名のドイツ人の芸術家と混同しないで頂きたい。彼は後のアーノルト社にとって重要な役割を担う事になる。
ニュルンベルグには第2次世界大戦中から終結まで絨毯爆撃が繰り返された。全てのアーノルト社の設備は灰燼に帰した。 戦後の復興はMax ErnstとKarl Arnoldの息子のErnst Arnoldの指揮の元で進められた。 ニュルンベルクの工場は再建された。
戦後、より小型の鉄道模型の注文が舞い込んだ。初期の段階では充分な所得と広さのある家では鉄道模型は鑑賞に堪える充分な大きさを持った物が好まれたが。1900年代初頭から最初の“小スケール”であるOゲージを始めとしてより小型のスケールの需要が高まりつつあった。1930年代にはHO/OOスケールが“小スケール”になった。1940年代から50年代にかけてTTスケールがその座につき、実物同様の編成の展示はより少ない面積ですむようになった。3社がTT革命を推進した。米国インディアナ州のH.Pプロダクツ社、英国のTri-ang社、西ドイツのRokal社であった。
しかし、TTスケールは鉄道模型において最小のスケールにはならなかった。口火を切ったのは英国のLone Star社とニュルンベルグのトリックス社であった。彼らはより小型化のスケールの時代の波に乗っていた。 両社は実験的に子供が押す力で動く、動力の無い模型を投入してきた。アーノルトも同様のサイズの模型を電動式で開発、「Rapid-200」の名称で1960年に発売された。この製品は1/200を基準縮尺としたものだったが、車輛も線路の幅も縮尺どおりには作られていなかった。同じ1960年にLone Star社は1/152を基準とする軌間9mmの電動模型「Treble-O-Lectric」を発売した。この製品はメカニズム的にはアーノルトの「Rapid-200」に劣るものだったが、スケールモデルとしては勝っていた。アーノルトは基準縮尺を1/160に変更しスケール性を高めた製品を発売して対抗した。この製品の軌間は9mmであった。開発を継続していたトリックス社も1964年にアーノルトの規格を採用した電動式のミニトリックスを発売。他の模型会社も次々とアーノルト規格の電動模型に参入してきた。このアーノルトの規格の鉄道模型はNゲージ/スケールと名付けられた。Lone Star社はまもなく脱落した。