アントニオ・カルバハル
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アントニオ・カルバハル | ||
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名前 | ||
本名 | アントニオ・フェリックス・カルバハル・ロドリゲス | |
愛称 | La Tota、El Cinco Copas | |
ラテン文字 | Antonio Carbajal | |
基本情報 | ||
国籍 | メキシコ | |
生年月日 | 1929年6月7日(79歳) | |
出身地 | メキシコシティ
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選手情報 | ||
ポジション | GK | |
背番号 | n | |
クラブチーム1 | ||
年 | クラブ | App (G) |
1948-1950 1950-1966 |
RCエスパニョール クラブ・レオン |
45 (0) 364 (0) |
代表歴 | ||
1950-1966 | メキシコ | 48 (0)
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アントニオ・カルバハル(Antonio Felix Carbajal Rodríguez、1929年6月7日 - )は、メキシコ・メキシコシティ出身の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパー。ニックネームの“La Tota”とは、アントニオの省略であり、子供の頃に名付けられた。
[編集] 経歴
1950年ブラジル大会から1966年イングランド大会まで、史上初のワールドカップ5大会連続出場を果たしたことで知られる。(のちにドイツのMF・DFローター・マテウスも達成(1982-1998)。現在のところ5大会連続出場はこの2人だけ。)
1948年のロンドンオリンピックで活躍し、同年12月にメキシコ1部リーグのクラブ・エスパーニャでプロデビュー。2シーズンプレーした後、レオンに移籍。
ワールドカップでは通算11試合に出場。勝利したのは1962年チリ大会のチェコスロバキア戦だけだった。(この試合はチェコスロバキアのバクラフ・マシェクに当時ワールドカップ最短時間ゴール記録となる開始15秒で先制を許したが、その後逆転。メキシコの記念すべきワールドカップ初勝利試合となった。また試合が行われた6月7日はカルバハルの誕生日だった。)なお、ワールドカップ通算25失点は歴代最多記録である。
37歳で現役引退後はレオン、Unión de Curtidores、Atletas Campesinos、Moreliaなどのクラブの監督や、メキシコ代表のゴールキーパーコーチを務めた。
[編集] ワールドカップでの成績
- 1950年ブラジル大会
- ● 0-4 ブラジル
- ● 1-4 ユーゴスラビア
- ● 1-2 スイス
- 1954年スイス大会
- ● 2-3 フランス
- 1958スウェーデン大会
- ● 0-3 スウェーデン
- △ 1-1 ウェールズ
- ● 0-4 ハンガリー
- 1962年チリ大会
- ● 0-2 ブラジル
- ● 0-1 スペイン
- ○ 3-1 チェコスロバキア
- 1966年イングランド大会
- △ 0-0 ウルグアイ