アブー・アル=アッバース
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アブー・アル=アッバース(アラビア語: أبو العباس عبد اﷲ ابن محمد السفاح Abū al-ʻAbbās ʻAbd Allāh ibn Muḥammad al-Saffāḥ、720年代前半 - 754年)はアッバース朝初代カリフ。カリフ就任説教で、「(功労者に対して)惜しみなく注ぐ者」を意味するラカブ名、サッファーフを名乗った。在位: 750年 - 754年。
父親ムハンマドはイスラム教の預言者ムハンマドの叔父アッバースの曾孫に当たる。747年にホラーサーンで蜂起したアッバース革命軍はウマイヤ朝を圧倒しイラクまで制圧する。しかし中心人物であった兄イブラーヒーム・イブン・ムハンマドが749年8月に没したため、同年11月、アブ・アル=アッバースがクーファでカリフに推戴された。750年にはザーブ川の戦いでウマイヤ朝軍を撃破、のちウマイヤ朝カリフ・マルワーン2世を殺し、ここにアッバース朝の成立を見る。
その後はウマイヤ朝の残党討伐や反ウマイヤ朝運動では同志的関係にあったシーア派の弾圧などを行ない、王朝内部を一族で固めることで支配体制を確立しようとした。治世下の751年にはタラス河畔の戦いでアッバース朝軍が唐軍を破っている。しかし754年、在位4年にしてユーフラテス川中流域アンバールで天然痘に倒れ、没した。短い治世ではあったが、うち続く戦いで内憂外患を圧し、後を継ぐ兄マンスールによる帝国建設を可能にした。
政権安定のため大規模な血の粛清を行ったため、後世の史家はしばしば、サッファーフのラカブ名をもうひとつの意味である「血を注ぐ者」とも解釈した。
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