アゴスティニョ・ネト
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アントニオ・アゴスティニョ・ネト(António Agostinho Neto、1922年9月17日 - 1979年9月10日)は、アンゴラの民族主義者・政治家・社会主義者・詩人で、初代大統領。イコロ・エ・ベンゴという町に生まれる。
ポルトガル統治時代の1940年代、アンゴラの伝統文化復興運動の中で頭角を現す。民族主義運動を行う一方、リスボンで医学を学んだ。帰国後は民族主義運動を行い植民地当局に逮捕され、モロッコに亡命し国外から反ポルトガル闘争を続けた。
ポルトガル撤退後、アンゴラ解放人民運動(MPLA)を率い、他の勢力との権力闘争を勝ち抜き、1975年11月11日の正式独立に伴って初代大統領に就任した。職責に就いた後、ネトはソ連など共産圏に接近し、アンゴラが東側陣営に属するきっかけをつくった。また、キューバのフィデル・カストロ首相と強い親交があり、内戦時代にキューバからの大規模な支援を受けた。
1979年9月にモスクワで死去し、後継はジョゼ・エドゥアルド・ドスサントスが継いだ。
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