やりくりクイズ30万に挑戦
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やりくりクイズ30万に挑戦は、1976年10月4日から1977年9月30日までフジテレビ系列で放送されていたクイズ番組。当初は毎週月曜~金曜の12:15~13:00に放送されていたが、後に時間が12:00~12:30までに削減された。司会は長谷川肇が担当。
[編集] 概要
5名の主婦が挑戦するクイズ番組。持ち金15万円でスタート。問題はクイズグランプリに類似し、放送月のカレンダーと同じ並び方のパネルの1日~30日から問題等を選ぶ(31日は空白になっていた。なお選ぶ際に全員5000円減額される)。 問題は生活クイズ(問題内容は視聴者公募)・一般クイズ・?クイズ(とんち問題がほとんどだった)とある(正解すれば5000円獲得)。またこのほかに!マーク(ショックカードと呼ばれていた)が数枚パネルにひそんでおり引いた場合は持ち金が1~2万円増えたり減ったりする。また生活クイズと一般クイズの中に副賞を懸けた問題もある(双葉のイラストが描かれていた)。16日はスペシャルコーナーでパネルは選べることができない。スペシャルコーナーはテーマにちなんで問題が出る。(書き問題)
なお後期になると、パネルが選ぶことができるようになった。また後期はパネルのどれかに文字が隠れておりこれを引いて正解する問題もあった。 番組の後半はパネルにドロボーに入られ、!マークのひとつだけ潜む。これを引いた場合持ち金は0円になってしまう(ただし、保険として景品~大抵は時計~が贈られた)。それまでの持ち金は視聴者プレゼントとされた。 クイズ終了後最も持ち金が高い組(トップ賞)は30万円挑戦クイズ(30万円相当の賞品と賞金3万円を懸けた問題)に参加できる。 持ち金が終了時ちょうど0円だった場合はピタリ賞として電卓がプレゼントされることもあった。
[編集] アラカルト
- 欽ちゃん乱入
- 1976年12月のある日の放送のとき、クイズの途中でパネルが開かなくなった。すわ故障かとスタジオがざわつく中、パネルから萩本欽一が顔を出し、スタジオの中に入って来て、自らがパーソナリティを務めるラジオ・チャリティー・ミュージックソン(ニッポン放送)の番組宣伝を行った。