いざなぎ景気
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いざなぎ景気(-けいき)とは、1966年から1970年にかけて続いた好景気。長らく第二次世界大戦後最長の景気回復期間とされてきたが、2002年1月を底に回復を続けてきた景気拡大が2006年10月時点でいざなぎ景気とならぶ57ヵ月となっている。
いざなぎ景気という名称は、神武景気や岩戸景気を上回る好況という意味を込めて名付けられた。「いざなぎ」とは日本神話で、天つ神の命をうけ日本列島をつくったとされる男神「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)」から。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)は天照大神(あまてらすおおみかみ)・素素戔嗚尊(すさのおのみこと)の父神。
[編集] 景気の推移
東京オリンピック翌年(1965年)の証券不況(40年不況)は、それまでの第二次世界大戦後の不況のように金融政策の緩和によっては改善せず、政府は第二次世界大戦後初めて建設国債の発行に踏み切った。翌1966年になると景気は回復しはじめ、いざなぎ景気がはじまった。
1970年の八幡製鉄と富士製鉄の合併による新日本製鉄の誕生など、貿易や資本の自由化への対応のために、国際競争力の強化をめざして規模拡大のための企業の大型合併が多数実現した。トヨタ・カローラや日産・サニーといった低価格の大衆車の発売によってマイカーブームが起こり、東京オリンピックを機にカラー放送が本格化したことからカラーテレビの普及率が急速に高まった。
所得水準の向上によって、エアコン(クーラー)の購入も増加し、車(car)、エアコン(cooler)、カラーテレビ(color TV)が3C(新・三種の神器)と呼ばれ、消費の大幅な伸びも見られた。いざなぎ景気の間に日本経済は大きく拡大し、世界第二の経済大国となった。
これ以前の景気拡大では、国際収支の悪化が起こり、外貨準備の減少を防止するために金融政策の引締めによる景気抑制が必要となるという「国際収支の天井」が景気拡大の制約条件だった。しかし1960年代半ばになると国際収支(経常収支)は黒字基調となって、景気拡大の制約条件ではなくなってきた。1969年9月には公定歩合が6.25%にまで引き上げられているが、同年の経常収支は2119(百万ドル)の黒字であった。いざなぎ景気は、景気過熱による賃金・物価の上昇加速を抑制しようとした金融引締めと設備投資の行き過ぎが引き起こした投資循環によって後退に向ったと考えられている。
神武以来の大景気ということで日本神話の日本国土建設の夫婦の神である伊邪那岐尊(夫)、伊邪那美尊(妻)の男性神の名をとって「いざなぎ景気」と命名した。2002年以降拡大局面に向かった景気は現状正式名称ではないが、この「いざなぎ景気」を超えた景気であることから「いざなみ景気」という命名が最有力視されている。 だが、現状では「格差景気」「格差拡大景気」のほうが通じやすいだろう。