薬害エイズ事件
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薬害エイズ事件(やくがいえいずじけん)とは1970年代後半から1980年代にかけて、主に血友病患者に対し、加熱等でウイルスを不活化しなかった血液凝固因子製剤(非加熱製剤)を治療に使用した事により、多数のHIV感染者およびエイズ患者を生み出してしまった事件である。
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[編集] 概要
原因は、ヒト免疫不全ウイルス(HIV)に感染したと推定される外国の供血者からの血液を原料に製造された血液凝固因子製剤を、加熱処理によってウイルスの不活化を行なわないまま治療に使用したことである。後にウイルスを加熱処理で不活性化した物を加熱製剤と呼ぶのに対し、従前の非加熱で薬害の原因となった物を非加熱製剤と呼ぶ。HIVに汚染された血液製剤が市場に流出し、それを投与された患者がHIV感染、エイズを発症し、それによる様々な病気で多数の死者を出した。
世界でも日本だけは加熱製剤が開発された後も2年4ヶ月以上もの間放置され、中々承認されず、非加熱製剤を使い続けたためにエイズの被害が拡大した。1989年5月に大阪で、10月に東京で後述の製薬会社と非加熱製剤を承認した厚生省に対して損害賠償を求める民事訴訟が提訴され、1996年2月に菅直人厚生大臣が謝罪し、3月に和解が成立した。
なお、この時製造販売で提訴された製薬会社は、当時のミドリ十字(現在の田辺三菱製薬)と化学及血清療法研究所であり、輸入販売で提訴された製薬会社は、バクスタージャパン(日本トラベノール)と日本臓器製薬、カッタージャパンを合併承継したバイエル薬品(→バイエル社)である[1]。
[編集] 裁判
1996年8月から10月に帝京大学医学部附属病院の医師だった安部英、厚生省官僚だった松村明仁、製薬会社ミドリ十字の代表取締役だった松下廉蔵・須山忠和・川野武彦が業務上過失致死容疑で逮捕・起訴された。なお、安部の容疑は自らが担当した患者にHIVに汚染された非加熱製剤を投与して死亡させたことであり、HIVに汚染された非加熱製剤を流通させたことではない。この裁判は2000年にミドリ十字の3被告人に実刑判決、2001年3月に安部に無罪判決、9月に松村に有罪判決が出た。認知症を患い2004年から公判が停止されていた安部は2005年4月25日に死去した。2008年3月3日、松村に対して最高裁は上告を棄却した。
なお、松村に対する事件は、1985年5月から6月にかけて投与された患者に対する事件については高裁段階で無罪が確定したが、1986年4月に投与された患者に対する件では、1986年1月に加熱製剤の日本における販売が開始され、十分な供給量が確保することが可能となり、回収等の措置を講じなかったとして有罪判決が言い渡されたものである。
1996年8月9日にミドリ十字の当時の取締役に対する株主代表訴訟が起き2002年4月に和解した。株主代表訴訟の和解条項等に基づき、2006年5月以降社内に調査委員会を設置し、ミドリ十字が当該事件の惹起を防止できなかった原因を調査検討した。その結果、2007年7月9日に薬害事件の再発防止策に関する提言を含む報告書を取りまとめ、提言を受けた改善策と併せて公表した[2]。
[編集] 刑事責任追及に関する議論
非加熱製剤によるHIV感染の薬害被害は世界的に起こったが、その中でも最悪であったのが日本とフランスで、両国では刑事責任を追及する結果となった。カナダでは受刑者から集めた血液による感染が問題になったが刑事事件に発展することは無かった。安部のような臨床医の刑事責任を追及した国は日本だけである。
[編集] 脚注
- ^ カッタージャパンの該当非加熱製剤を発売元として大塚製薬と、同じくバクスター製の同種製品の輸入発売元として住友化学(現在の大日本住友製薬)の2社からも非加熱製剤を発売していた時期があり、無関係では無かったが両社とも提訴されなかった。
- ^ "HIV事件に関する社内調査委員会報告書等の公表について" 三菱ウェルファーマ: 2007-09-05. 2008-05-20閲覧.
[編集] 関連項目
- 後天性免疫不全症候群(通称:エイズ)
- 血友病
- 川田悦子
- 川田龍平
- クリオ製剤
- 持永和見
- 弘中惇一郎
- 国立国際医療センター - 1996年の和解において、その条件として恒久的施設としてのエイズ治療・研究開発センターが1997年に設置された。