川田悦子
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川田 悦子(かわだ えつこ、昭和24年(1949年)2月13日 ‐ )は、日本の政治家。衆議院議員(1期)を務めた。福島県出身。福島県立白河女子高等学校(現福島県立白河旭高等学校)卒業。参議院議員の川田龍平は次男。
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[編集] 来歴
元法律事務所職員。遺伝性疾患である血友病に罹患する次男・龍平がその治療に用いられた血液製剤によりHIV(ヒト免疫不全ウィルス)に感染、薬害エイズの真相究明を求める運動の先頭に立って活動する。2000年10月に、衆議院議員山本譲司の辞職に伴い行われた東京21区補欠選挙に無所属で出馬し、初当選した。院内会派に属さず無所属で活動。2003年の総選挙にも出馬したが落選した。
もともと日本共産党に近い団体である日本民主青年同盟(民青同盟)、新日本婦人の会(新婦人)などに属しており、先に民主党から出馬した家西悟については「出馬するのは勝手だが、自身の当選のために裁判を利用するのはやめてもらいたい」と不快感を表明していた。自身の選挙出馬に際しては、共産党に既に擁立を決めていた公認候補を下ろして自身を推薦候補とするよう要請していた(ただし川田は共産党の側から推薦を申し込まれたと主張)。しかし支援者の1人である中村敦夫が共産党との共闘に反対したため、無党派候補であることを強調するために共産党の推薦要請を撤回し、むしろ中村との関係を全面に押し出すようになった。選挙当時、共産党は「共通の政策で共闘する」「共産党を敵視しない」などの確認事項を発表し、独自に「応援」するという形を取った。
その後川田が中村との関係をますます強め、「自分と共産党との関係は初めから一切無い。支援を受けたことも求めたことも無く、向こうが勝手にやっているだけ」と、共産党に近いスタンスに見られることに不快感を示す発言を繰り返したり、著書で「政党助成金がいらないなら受給した上で私たち無党派議員に配ればいい。それが出来ないのはエゴ」と著書に書くなど、共産党に批判的な言動が目立つようになっていった。これを重大な裏切りと見た共産党は2003年になってから『しんぶん赤旗』2月7日号にて批判するに至った。結局、2003年の総選挙では共産党が独自候補(田川豊)を擁立した。中村のいた「さきがけ」(後のみどりの会議)に近い民主党などの支持も得られず(民主は長島昭久を擁立して当選)、川田は共産の田川と共倒れの形で落選することとなった。
これについて左翼や共産党支持者からも「2003年に当選した民主党の長島昭久は党内右派であり、共産などの『左翼』との共闘を批判している。共産にとって、川田を落として長島を当選させるメリットは(川田個人への意趣返しを別にすれば)ないのではないか」と疑問の声が上がった。しかし川田が事実と異なる発言を繰り返したこと、一方的に協定を破られて自党を攻撃された共産の立場を考えるべきとの反論もある。
現在は「平和への結集」など、革新統一候補擁立運動などに参加。また、無防備地域宣言運動ネットワークの呼びかけ人としても名を連ねている。
[編集] 政治的主張
[編集] 文献
[編集] 著書
- 『貧乏議員 : 国会「イビリの掟」を笑う』講談社、2002年4月、ISBN 4062112647
- 『龍平とともに : 薬害エイズとたたかう日々』岩波書店、1997年2月、ISBN 4000255517
[編集] 共著
- 『薬害エイズはいま新しいたたかいへ』保田行雄、かもがわ出版、1998年8月、ISBN 4876994005
- 『現在(いま)生きる : 川田竜平・悦子の親子対談』川田竜平、新日本出版社、1998年4月ISBN 4406025839
- 『龍平の未来 : エイズと闘う19歳』広河隆一、講談社、1995年3月、ISBN 4062075172
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
- Raum Ryuhei KAWADA 川田龍平 公式ページ
- 『東京21区問題について』(共産党評論サイトより)