興南区域
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興南区域 | |
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各種表記 | |
チョソングル: | 흥남구역 |
漢字: | 興南区域 |
平仮名: (日本語読み仮名) |
こうなんくいき |
片仮名: (現地語読み仮名) |
フンナム=クヨク |
ラテン文字転写: | {{{latin}}} |
ローマ字転写: | Hŭngnam-kuyŏk |
興南区域(フンナムくいき)は、朝鮮民主主義人民共和国咸鏡南道咸興市に属する区域。咸興湾に面した港湾都市・化学工業都市である。
隣接する咸興市との合併、興南市としての分離を繰り返しており、近年では2001~2005年の間は興南市であった。
目次 |
[編集] 地理
咸興市の南東12kmに位置し、咸興湾に面する。
[編集] 歴史
詳細は咸興市#歴史を参照
植民地時代の1920年代、蓋馬高原で水力発電(長津湖や赴戦湖)による電源開発が行われ、それらの電力をもとに興南に工業地帯が建設された。中心となったのは朝鮮窒素肥料(1928年工場建設)などの日窒コンツェルンであり、硫安などの化学工業地帯として工業化が進められた。1944年12月、興南府となった。
1945年、日本の敗戦後、多くの日本人が興南から日本に引き揚げた。朝鮮戦争の際には北進した韓国軍・国連軍が一時占領したが、1950年12月に中国義勇軍が参戦すると、中国・北朝鮮国境地帯から退却したアメリカ軍をはじめとする国連軍10万人が、一般市民10万人とともに興南の港からアメリカ海軍の艦船により海路南へ脱出する興南撤退作戦が行われた。興南は国連軍の艦砲射撃と空爆により破壊されたが、後にソ連・東ドイツなどの東側諸国の援助もあり復興し、発展した。
[編集] 年表
- 1930年10月 - 咸興郡(咸州郡)雲田面・西湖面の一部を合併して咸州郡興南面となる。のち興南邑に昇格。
- 1944年12月 - 興南邑と西湖面・雲南面・三平面が合併、興南府に昇格。
- 1960年10月 - 咸興直轄市に編入され興南区域となる。
- 2001年7月 - 興南区域が興南市として分離する。
- 2005年10月頃 - 興南市がふたたび咸興市に編入される。
[編集] 産業
電力・港湾・工場などの基盤が植民地時代に形成された。
合成繊維(ビナロン)や化学繊維などの化学工業や機械工業などの重工業が中心に行われている。苛性ソーダや肥料も多く生産している。
[編集] 外部リンク
- (朝鮮語) 以北五道委員会
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市 | 咸興市 | 新浦市 | 端川市 |
区 | 水洞区 |
地区 | 琴湖地区 |
郡 | 咸州郡 | 楽園郡 | 定平郡 | 金野郡 | 高原郡 | 耀徳郡 | 長津郡 | 赴戦郡 | 栄光郡 | 新興郡 | 洪原郡 | 北青郡 | 徳城郡 | 利原郡 | 虚川郡 |