森谷昭仁
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森谷昭仁 Akihito Moritani 東北楽天ゴールデンイーグルス No.00 |
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 京都府京都市西京区 |
生年月日 | 1979年10月8日(28歳) |
身長 体重 |
173cm 78kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投両打 |
守備位置 | 外野手(中堅手) |
プロ入り | 1997年 3位 |
初出場 | 2000年8月5日 |
経歴 | |
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森谷 昭仁(もりたに あきひと、1979年10月8日 - )は、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属するプロ野球選手(外野手)。背番号は00。一時期、登録名を森谷 昭人(読み同じ)としていた。
父は元プロ野球選手の森谷昭。
目次 |
[編集] 経歴
読売ジャイアンツに4年間所属した元プロ野球選手、森谷昭の第一子として出生。河岡小学校時代に少年野球チーム「西京ビッグスターズ」でプレー。中学時代は投手だった。豊川高等学校へ入学し、外野手へ転向。高校通算34本塁打。甲子園出場経験はない。澤井道久とは同級生・同出身地である。
[編集] 近鉄時代
- 1997年、ドラフト3位指名を受け近鉄バファローズへ入団。2000年から3年間連続でウェスタン・リーグ盗塁王を獲得。俊足を武器に、2000年8月5日の千葉ロッテ戦で代走として公式戦初出場を果たし二盗を決める。2002年には初安打・初本塁打を記録した。しかし打撃や守備の安定感において課題があり、大半をファームで過ごした。
- 2004年、近鉄とオリックスの球団合併、東北楽天ゴールデンイーグルスの新規参入に伴う分配ドラフトにより、楽天に移籍する。
[編集] 楽天時代
- 2005年、田尾安志監督に期待をかけられたが、出場8試合(無安打・1盗塁)に終わる。
- 2006年、開幕一軍スタートを切り、24試合に出場。6月27日の巨人戦(フルスタ宮城)では、野球人生初のお立ち台に立った(また、この試合で渡邉恒樹がプロ初セーブを上げた)。
- 2007年、開幕一軍スタートを切り、21試合に出場。5月13日のオリックス戦では他の選手では追いつけないような打球を捉え、野村監督から「あれはお前しか取れへん」とコメントをもらう。しかし5月28日の横浜戦では不用意に牽制球に刺され、翌日同じく俊足を武器とする高波文一と交換する形で二軍降格となった。二軍では内野手不足の事情から本職ではない二塁を守ったりもしたが、アピールできる内容は残せず、そのまま二軍でシーズンを終えた。
[編集] エピソード
- 2006年6月25日に「赤い稲妻~森谷昭仁ブログ」を開設。ブログタイトルになっている「赤い稲妻」は、かつて二度の盗塁王に輝き「青い稲妻」と呼ばれた松本匡史(2006年まで楽天イーグルス・ヘッドコーチ)にあやかったものである。
- 本拠地試合のスタメン紹介では、「やればできる子!森谷昭仁!」とコールされる。これは森谷自らが作ったセリフである。また2007年度の登場曲にはオリジナル曲を使用。宮城県で活動するラジオDJ元木秀一氏に作成を依頼した。曲は全部で12パターン用意されている。
- パチンコ好き。楽天球団1年目の初練習の際にパチンコ断ちを宣言して(させられて)いる。
- 「真っ直ぐ走らせたらプロ野球一」と言われるほどの俊足の持ち主。高校時代、徒競走では陸上部にさえ負けなかったという”伝説”を残す。また試合では、盗塁を警戒して捕手がウエストしたにも関わらず、送球が二塁に到達する前に悠々と塁を陥れたことがある。
- 試合前の野村克也監督と記者団との雑談では「森谷の脚なら3億円プレイヤーになっててもおかしくないのになあ」「田尾じゃなくても、使いたくなるよなあ」「陸上競技やってたら、多分、オリンピックに行っとるよ」と持ち上げた後に、「せっかちで落ち着きの無い性格だから、あっさり牽制に引っかかる(笑)」とぼやいてオチを付けるのが恒例になっている。事実、勝負所の代走としての起用が多いが、相手投手に簡単につり出されてしまい牽制で刺されるというケースはしばしば見受けられる。
- 守備においては目測を誤る事もあり、俊足によって打球を追い越し結局捕れないことすらあった。
- 「これだけは誰にも負けないということは?」という質問に対して「頭が悪いことです(笑)」との答え。通常のサインが覚えられず森谷専用の簡単なサインがあるという噂もある程、物覚えは良くないらしい。野村克也監督に「やるスポーツを間違えたな」と言われ、「そう思います」と返答した。
- 2006年は野村監督の指示により「つちのこ型バット」を使用した。太く重いバットによって凡フライを減らし、内野ゴロを増やして俊足でセーフにする狙いがあったが、現在はこのバットを使用していない。(つちのこ型バットとは、バットのグリップとグリップエンドが大変太く、バットの中央部分とグリップエンドの太さがあまり変わらない重いバットのこと。)
- 近鉄時代、オフのプロ野球選手運動会のスウェーデンリレー1走に出走し、各球団の快足選手を一蹴、大差で次走に渡したことがある。
[編集] 初記録
- 初出場 - 2000年8月5日、千葉ロッテ戦(大阪ドーム)。8回に代走として。
- 初盗塁 - 同上。二盗を決める。
- 初安打 - 2002年8月7日、西武戦(大阪ドーム)。7回に許銘傑投手から。
- 初本塁打・初打点 - 2002年9月13日、西武戦(大阪ドーム)。9回に三井浩二投手から。
[編集] 年度別打撃成績
年度 | チーム | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
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1998年 | 近鉄 | 一軍試合出場なし | |||||||||
1999年 | 大阪近鉄 | ||||||||||
2000年 | 6 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | .000 | |
2001年 | 一軍試合出場なし | ||||||||||
2002年 | 42 | 53 | 12 | 12 | 2 | 0 | 2 | 2 | 6 | .226 | |
2003年 | 13 | 15 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | .200 | |
2004年 | 19 | 16 | 5 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | .063 | |
2005年 | 東北楽天 | 8 | 8 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | .000 |
2006年 | 24 | 22 | 6 | 5 | 3 | 0 | 0 | 0 | 5 | .227 | |
2007年 | 21 | 16 | 5 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | .188 | |
通算 | 133 | 131 | 35 | 24 | 5 | 0 | 2 | 3 | 23 | .183 |
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
監督 |
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19野村克也 |
コーチ |
78橋上秀樹(ヘッド)|71紀藤真琴(投手)|76杉山賢人(ブルペン)|77池山隆寛(打撃)|81関川浩一(打撃補佐) 80西俊児(内野守備走塁)|75佐竹学(外野守備走塁)|70山田勝彦(バッテリー)|73野村克則(バッテリー) |
二軍監督・コーチ |
87松井優典(監督)|82吉田豊彦(投手)|86星野おさむ(打撃)|89永池恭男(内野守備走塁) 85広橋公寿(外野守備走塁)|90芹澤裕二(バッテリー)|84高村祐(育成/投手)|74米田慶三郎(育成/野手) |
投手 |
0佐藤宏志|11一場靖弘|13小倉恒|14牧野塁|16山村宏樹|18田中将大|20長谷部康平|21岩隈久志|22愛敬尚史|26有銘兼久 28片山博視|29林恩宇|30永井怜|34渡邉恒樹|36朝井秀樹|40吉崎勝|41青山浩二|43寺田龍平|45川井貴志|47松崎伸吾 49インチェ|50ドミンゴ|51川岸強|53石田隆司|54木谷寿巳|56戸部浩|57小山伸一郎|59菊池保則|60石川賢|65松本輝 |
捕手 |
27河田寿司|31藤井彰人|37嶋基宏|39井野卓|44中谷仁|48伊志嶺忠|52山本大明|58木村考壱朗|67銀次 |
内野手 |
1塩川達也|2渡辺直人|3吉岡雄二|4高須洋介|6西谷尚徳|7山崎武司|12草野大輔 17フェルナンデス|32沖原佳典|35大廣翔治|38山下勝充|55リック|66西村弥|68枡田慎太郎 |
外野手 |
00森谷昭仁|8礒部公一|9鷹野史寿|23聖澤諒|24山崎隆広|25横川史学 33平石洋介|46鉄平|61憲史|62高波文一|63牧田明久|64中島俊哉 |
育成選手 |
121内村賢介(内野手)|126中村真人(外野手) |
近鉄バファローズ 1997年ドラフト指名選手 |
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1位:真木将樹 / 2位:高須洋介 / 3位:森谷昭仁 / 4位:吉川元浩 / 5位:田中祐貴 / 6位:代田建紀 / 7位:高塚信幸 |