小倉恒
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小倉 恒 東北楽天ゴールデンイーグルス No.13 |
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 栃木県鹿沼市 |
生年月日 | 1970年8月10日(37歳) |
身長 体重 |
180cm 75kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1992年 ドラフト7位 |
初出場 | 1993年10月17日阪神戦(神宮) |
経歴 | |
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小倉 恒(おぐら ひさし、1970年8月10日 - )は、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属するプロ野球選手(投手)。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] プロ入り前
小学低学年から野球を始め、「さつきが丘スポーツ少年団」でプレー。4年生の頃からずっとピッチャーだった。鹿沼東中学校、県立鹿沼商工高等学校(旧校名:鹿沼農商)へ進学。甲子園をめざしたが、出場は果たせなかった。社会人でも野球を続けたかったがどこからも声がかからず、地元の野球クラブチーム「全足利クラブ」に所属する。足利市役所の体育・文化振興会の職員として働きながら、勤務後に野球の練習を続けた。
1992年、富士重工業の補強選手に選ばれ都市対抗野球に出場する。同年ドラフト7位でヤクルトに入団。クラブチーム所属選手がドラフト指名を受けるのは、ドラフト会議史上初のことだった。同期入団には伊藤智仁(大学・社会人一巡目)がいる。
[編集] ヤクルト時代
ヤクルトには5年弱在籍したが、結果が出せず1997年途中、岩崎久則との交換トレードでオリックスへ移籍する。
[編集] オリックス時代
オリックス移籍後にセットアッパーとして大活躍する。特に1999年~2001年の3年間は大きな働きを見せた。1999年は48試合に登板し、5勝11S、防御率2.17。翌年の2000年にも9勝10S、防御率2.98の記録を残した。そして、2001年には先発へ転向。4月28日の日本ハム戦(神戸)では初完投を初完封勝利で飾った。また、自身初の2桁勝利(10勝)をあげた。一方、一発病はなおらず、22試合に先発し両リーグ最多の27被本塁打を浴びた。2002年は開幕に出遅れるものの、後半戦勝ち星を重ねて7勝をあげた。しかし、翌2003年は精彩を欠き、13敗を喫する。
2004年11月、合併球団オリックスと新規球団楽天の発足に伴い行われた分配ドラフトで楽天入りする。
[編集] 楽天時代
2005年の移籍後1年目は満足な結果を残すことができず、2005年9月に球団から戦力外通告を受ける。しかし、2005年11月の12球団合同トライアウトを受け、ヤクルト時代の恩師でもあった野村克也新監督の意向によって楽天との再契約が検討され、再び楽天に戻った。
2006年は、開幕当時に抑えとして期待された小山伸一郎が不振であったため、代わって抑えを任されたものの結果は芳しくなく、抑え投手の座は福盛和男に明け渡し、自身は中継ぎ投手にまわる。しかしその後8月に福盛が乱調となると再び抑えの座に復帰した。8月17日にシーズン初セーブをあげる。このように同年シーズンは中継ぎ、抑えと大車輪の活躍をし、楽天投手陣の中では最多の58試合に登板。6勝7敗4S防御率2.18というチーム最高の成績を収めた。6月30日の北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)では、9回裏に左投手河本育之のワンポイント登板のため、一時的に一塁守備に就いた。この作戦は功を奏し、この9回裏のピンチはしのいだものの、延長10回に田中賢介からサヨナラ本塁打を被弾し敗戦投手となってしまった。 オフにはイオン日米野球2006の代表に監督推薦選手として選ばれたが、メッツのホセ・レイエスに最終戦でサヨナラ満塁本塁打を献上し全米の全勝でシリーズを終了させた。
2007年シーズンはキャンプで出遅れたのが響き、前半はなんとか抑えていたが、シーズン後半は2度、2軍へ降格した。
[編集] 投球
パッと思いつく変化球は一通り投げられると言われるほど多種多様な球種を持つ選手で、ナックルボールも投げられるという話だが実戦ではあまり投げない(オリックス時代の一時期、同僚の加藤大輔のナックル・カーブを真似て実戦で直ぐ投げていたことはある。元同僚で捕手の日高剛には完璧に捕らえられていた)。
速球にも力があり、常時140km/h近い球速を出せ、最速では150km/h弱になる。基本的には、速球とスライダーが投球の大部分を占めている。
また、実戦で投げる球種はどれも制球力が非常に高く、2006年に記録した四球は62回を投げてわずか13。イニングの約5分の1とこれだけでも少ないと言えるのだが、この内の10は故意四球である。欠点としては球質が軽いため、被本塁打が多いことが挙げられる。
[編集] 人物・エピソード
- 入団発表の際、消防士の格好をしたため消防士と間違われたが、実際はこの格好をしたのはクラブチームの副部長が消防士であったためであり、当時の小倉の職業はグラウンドのメンテナンス作業であった(そのため、ほかのメンバーよりも早い時間に練習することができたらしい)。
- ゴルフが得意。2007年選手会主催のゴルフコンペでは参加者84名中3位(ハンデなしでは1位)になった。
- 登場テーマ曲は、球団公式携帯サイト「楽天イーグルスモバイル」内でファンから募集し、本人が厳選して決めたもの。2007年シーズン終盤の9月1日に決定した。登場曲:『愛唄』GReeeeN(2007-)
- 杉本尚文とは家族ぐるみの付き合いがある。
- バス釣りが趣味。
[編集] 通算成績
年度 | 球団 | 背番号 | 登 板 |
完 投 |
完 了 |
当 初 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ l ブ |
打 者 |
投 球 回 |
安 打 |
本 塁 打 |
与 四 球 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
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---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1993 | ヤクルト | 54 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 13 | 2 | 6 | 1 | 1 | 0 | 0 | 4 | 4 | 18.00 | |
1994 | 13 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 83 | 19 1/3 | 21 | 4 | 5 | 1 | 16 | 9 | 9 | 4.19 | |||
1995 | 7 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 48 | 11 | 11 | 2 | 4 | 0 | 4 | 9 | 7 | 5.73 | |||
1996 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10 | 2 | 3 | 0 | 1 | 1 | 0 | 3 | 3 | 13.50 | |||
1997 | - | |||||||||||||||||||||
オリックス | 58 | 22 | 0 | 8 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 137 | 32 1/3 | 36 | 2 | 8 | 1 | 24 | 16 | 16 | 4.45 | ||
1998 | 12 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 81 | 18 2/3 | 18 | 2 | 8 | 0 | 10 | 10 | 9 | 4.34 | |||
1999 | 27 | 48 | 0 | 24 | 2 | 0 | 0 | 5 | 2 | 11 | 411 | 103 2/3 | 86 | 5 | 25 | 3 | 84 | 25 | 25 | 2.17 | ||
2000 | 48 | 0 | 29 | 3 | 0 | 0 | 9 | 5 | 10 | 419 | 105 2/3 | 87 | 11 | 22 | 1 | 72 | 36 | 35 | 2.98 | |||
2001 | 26 | 4 | 0 | 22 | 2 | 3 | 10 | 7 | 0 | 659 | 164 | 156 | 27 | 26 | 1 | 128 | 70 | 66 | 3.62 | |||
2002 | 17 | 1 | 0 | 14 | 1 | 0 | 7 | 4 | 0 | 423 | 100 1/3 | 112 | 14 | 17 | 2 | 60 | 46 | 39 | 3.50 | |||
2003 | 51 | 1 | 22 | 12 | 0 | 0 | 4 | 13 | 7 | 531 | 125 1/3 | 129 | 22 | 32 | 4 | 104 | 68 | 63 | 4.52 | |||
2004 | 34 | 0 | 7 | 10 | 0 | 0 | 4 | 5 | 0 | 363 | 80 1/3 | 102 | 13 | 21 | 5 | 56 | 54 | 52 | 5.83 | |||
2005 | 楽天 | 15 | 0 | 6 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 83 | 17 1/3 | 25 | 3 | 8 | 0 | 10 | 16 | 15 | 7.79 | ||
2006 | 13 | 58 | 0 | 23 | 0 | 0 | 0 | 6 | 7 | 4 | 253 | 62 | 55 | 5 | 13 | 1 | 51 | 20 | 15 | 2.18 | ||
2007 | 39 | 0 | 7 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 127 | 29 2/3 | 33 | 1 | 6 | 0 | 27 | 19 | 19 | 5.76 | |||
通算 | 393 | 6 | 138 | 64 | 3 | 3 | 50 | 48 | 32 | 3641 | 873 2/3 | 880 | 112 | 197 | 20 | 646 | 405 | 377 | 3.88 |
[編集] 記録
- 初登板:1993年10月17日阪神戦(神宮)3-13 先発し2回4失点で敗戦投手
- 初奪三振:1994年8月5日阪神戦(神宮) 4回に久慈照嘉から
- 初勝利:1997年7月20日日本ハム戦(神戸)14-4 6回1死から登板、2回2/3無失点
- 初セーブ:1999年5月25日近鉄戦(大阪ドーム)5-4 8回1死から登板
- 初完投・初完封:2001年4月28日日本ハム戦(神戸)2-0
[編集] 関連項目
監督 |
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19野村克也 |
コーチ |
78橋上秀樹(ヘッド)|71紀藤真琴(投手)|76杉山賢人(ブルペン)|77池山隆寛(打撃)|81関川浩一(打撃補佐) 80西俊児(内野守備走塁)|75佐竹学(外野守備走塁)|70山田勝彦(バッテリー)|73野村克則(バッテリー) |
二軍監督・コーチ |
87松井優典(監督)|82吉田豊彦(投手)|86星野おさむ(打撃)|89永池恭男(内野守備走塁) 85広橋公寿(外野守備走塁)|90芹澤裕二(バッテリー)|84高村祐(育成/投手)|74米田慶三郎(育成/野手) |
投手 |
0佐藤宏志|11一場靖弘|13小倉恒|14牧野塁|16山村宏樹|18田中将大|20長谷部康平|21岩隈久志|22愛敬尚史|26有銘兼久 28片山博視|29林恩宇|30永井怜|34渡邉恒樹|36朝井秀樹|40吉崎勝|41青山浩二|43寺田龍平|45川井貴志|47松崎伸吾 49インチェ|50ドミンゴ|51川岸強|53石田隆司|54木谷寿巳|56戸部浩|57小山伸一郎|59菊池保則|60石川賢|65松本輝 |
捕手 |
27河田寿司|31藤井彰人|37嶋基宏|39井野卓|44中谷仁|48伊志嶺忠|52山本大明|58木村考壱朗|67銀次 |
内野手 |
1塩川達也|2渡辺直人|3吉岡雄二|4高須洋介|6西谷尚徳|7山崎武司|12草野大輔 17フェルナンデス|32沖原佳典|35大廣翔治|38山下勝充|55リック|66西村弥|68枡田慎太郎 |
外野手 |
00森谷昭仁|8礒部公一|9鷹野史寿|23聖澤諒|24山崎隆広|25横川史学 33平石洋介|46鉄平|61憲史|62高波文一|63牧田明久|64中島俊哉 |
育成選手 |
121内村賢介(内野手)|126中村真人(外野手) |
ヤクルトスワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ) 1992年ドラフト指名選手 |
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1位:伊藤智仁 / 2位:住友健人 / 3位:真中満 / 4位:山本樹 / 5位:鈴木浩文 / 6位:古沢淳 / 7位:小倉恒 / 8位:清水千曲 |