尚徳王
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尚 徳王(しょう とくおう、1441年 - 1469年)は琉球王国の第一尚氏王統の第7代国王(在位1460年 - 1469年)。第6代琉球国王。第一尚氏王統最後の国王。尚泰久王の子。神号は八幡按司または世高王。
[編集] 生涯
尚徳は、尚泰久王の第三王子として、1460年に生まれた。父王の薨去後、妾腹でありながら長兄・金橋王子を退けて、即位した。金橋王子の母は王妃であったが、謀反の嫌疑をかけられた護佐丸の娘であったことから、即位できなかったと見られている。翌年には、明から冊封を受けた。
マラッカに使者を派遣し、マラッカとの交易を始め 市場を拡大させた。北は日本、朝鮮、南はマラッカ、シャムと琉球は中国交易を中心とした、大交易時代でもあった。
1466年に国王自ら2000の兵を率いて喜界島へ遠征し、琉球王国の領土に加えた。国王自ら軍を率いて討伐に向かうのは、祖父・尚巴志王以来のことであった。同年に使節を足利義政に送った。翌年、朝鮮にオウムや孔雀を贈った返礼として、方冊蔵経を贈られた。他に、天界寺を創建した。1469年、29歳で薨去した。
[編集] 家族
- 父・尚泰久王
- 母・宮里阿護母志良礼
- 妃・具志川按司の娘
- 側室・屋比久按司の娘
- 子女
- 長男・佐敷王子
- 次男・浦添王子
- 三男・屋比久大屋子
- 四男・黄金子
琉球国王の一覧 | |||||||||||||||||||||||
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舜天王統 | 舜天 - 舜馬順煕 - 義本 | 英祖王統 | 英祖 - 大成 - 英慈 - 玉城 - 西威 | ||||||||||||||||||||
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第一尚氏王統 | 尚思紹王 - 尚巴志王 - 尚忠王 - 尚思達王 - 尚金福王 - 尚泰久王 - 尚徳王 | ||||||||||||||||||||||
第二尚氏王統 | 尚円王 - 尚宣威王 - 尚真王 - 尚清王 - 尚元王 - 尚永王 - 尚寧王 - 尚豊王 - 尚賢王 - 尚質王 - 尚貞王 - 尚益王 - 尚敬王 - 尚穆王 - 尚温王 - 尚成王 - 尚灝王 - 尚育王 - 尚泰王 |
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