マラッカ
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マレーシアの州 |
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Melaka Malacca |
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州の標語: Bersatu Teguh | |||
州歌 Melaka Maju Jaya | |||
州都 | マラッカ | ||
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政党 | 国民戦線 | ||
- 州元首 | Mohd Khalil Yaakob | ||
- 州首相 | Mohd Ali Mohd Rustam | ||
歴史 | |||
- マラッカ王国 | 15世紀 | ||
- ポルトガルの支配 | 1511年8月24日 | ||
- オランダの支配 | 1641年1月14日 | ||
- 英蘭協約 | 1824年3月17日 | ||
- マラヤ連邦加入 | 1948年 | ||
面積 | |||
- 総面積 | 1,650 km² | ||
人口 | |||
- 2007年 調査 | 733,000 | ||
- 人口密度 | 432.1/km² | ||
国際電話番号 | 06 | ||
国際郵便番号 | 75xxx ~ 78xxx | ||
ナンバープレート | M | ||
ウェブサイト: | http://www.melaka.gov.my |
マラッカ(マレー語: Melaka, ジャウィ: ملقة, 英語: Malacca, またはムラカ、メラカ)はマレー半島西海岸南部に位置するマレーシアの州及び州都。東西交通の要衝マラッカ海峡に面する港市である。
目次 |
[編集] 歴史
スマトラ島のパレンバンの王子パラメスワラが1396年頃マラッカ王国を建国した。彼はパレンバンを統治していたシュリヴィジャヤ国の内乱に乗じて独立を企てたが失敗、テマセック(シンガポール)に逃亡。王を殺し、王座に着いたがタイに追われ、ジョホールからマラッカへ退避。国を建国する。名前の由来は、木の下で休んでいたところ小鹿が猟犬を蹴飛ばすところを目撃、休んでいた木の名前を取った、と言う説が一般的。マラッカ王国は1414年頃イスラム化し、香辛料の東西貿易における重要な中継港として繁栄を極めた。1405年には明の永楽帝より命を受け遠くアフリカ大陸まで大遠征を行った海軍大将鄭和の艦隊もマラッカ(満剌加)に初寄港している。マラッカ王朝は朝貢貿易を通じ明国との同盟を強固し、北の大国シャム、南のアチェからの脅威を牽制していた。
1511年ポルトガルのインド総督アフォンソ・デ・アルブケルケが征服し、東南アジアにおけるポルトガル海上帝国の拠点とした。ポルトガル時代には要塞(サンチャゴ砦)やキリスト教会(セントポールチャーチ)が建設され、司令官が常駐していた。イエズス会のフランシスコ・ザビエルはここから東アジア布教に出発している。
1641年オランダ東インド会社がジョホールのスルタンの援助を得て、マラッカを占領した。オランダの東南アジアにおける拠点はジャワ島のバタヴィアであったので、マラッカはマレー半島で産する錫などを輸出する地方港に転落した。1824年の英蘭条約でスマトラ島のイギリス植民地と交換にイギリスに譲渡された。その際、マラッカ海峡より西側はオランダ領、東側は英国領と定められた。
1826年イギリスのトーマス・ラッフルズはペナンやシンガポールとともに英領海峡植民地を成立させたが、近代港シンガポールの台頭が著しく、マラッカの港湾機能は衰退した。
1941年12月から3年8ヶ月にわたる太平洋戦争下はイギリスに代わり日本軍に占領された。終戦後の1945年、イギリスが再び海峡植民地としたが、独立の機運が高まり、1948年にイギリス保護領下でマラヤ連邦が成立、1957年8月31日に完全独立を遂げる。これに先立ち1956年2月20日、トゥンク・アブドゥル・ラーマン・マラヤ連邦首相がマラヤ連邦の独立宣言を行ったのは、このマラッカである。
1989年4月15日、マラッカは "Historical City"「歴史の都市」として市制の承認を受けた。これを記念し毎年4月15日はマラッカ州で休日に指定されている。港湾都市として発達を遂げたマレーシア最古の都マラッカは現在、観光都市として年間600万人(2007年)を超える国内外からの観光客が訪れている。
[編集] 地理
[編集] 住民
マラッカの住民の大半はマレー人(約60%)や華人(約30%)だが、ポルトガル人の子孫(ユーラシアン:彼らは今でもポルトガル語の方言を話し、カトリック信仰を持つ)やその混血の子孫、中華系(ババニョニャ)、インド系(ママッおよびチッティ)も独自の民族を構成する。
[編集] 観光
- ダッチ・スクエア (オランダ広場)
- スタダイス
- セント・ジョーンズ砦
- セント・ピーターズ教会
- ジョンカー通り (Jonker Street (Jalan Hang Jebat))
- スルタンの家
[編集] ショッピング
[編集] アクセス
- 長距離高速バス:クアラルンプール、ジョホールバル、イポー、シャーアラム、セレンバン他、マレーシア半島の主要各都市およびシンガポールからのバス定期便が就航している。なお、長距離バスのほとんどが発着するセントラルバスターミナルは市の郊外にあり、ダッチ・スクエアなどに移動するには、市内バスやタクシーへの乗り換えが必要。
- KLIA(クアラルンプール国際空港)からは、空港リムジンサービスの利用が便利。
- 空港:バトゥー・ブルンダム空港(2008年3月現在インドネシア国際定期便のみ就航)
- 鉄道:マラッカ市内北北東35キロにあるタンピン駅が最寄り駅であるが、同駅は隣のヌグリ・スンビラン州に位置し、マラッカ市内まで約1時間かかるため鉄道を利用する地元の人や旅人は少ない。
[編集] 外部リンク
- 政府
- マラッカ州政府 (マレー語)(英語)
- 旅行
- マラッカ - ウィキトラベル
- マラッカ州観光局 (英語)
- マレーシア政府観光局 - マラッカ (日本語)
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