国鉄キハ54形気動車
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国鉄キハ54形気動車 | |
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国鉄キハ54形0番台 国鉄色(窪川駅)
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最高速度 | 95km/h (1 - ) 95km/h→110km/h (501 - ) |
最大寸法 (長/幅/高) |
21300 × 2920 × 3845 (1 - ) 21300 × 2920 × 3620 (501 - ) |
質量 | 37.2t (1 - ) 38.7t (501 - ) |
定員 | 68(席)+ 80(立)= 148名 (1 - ) 70(席)+ 30(立)= 100名 (501 - ) |
機関出力 | 250PS × 2基 (DMF13HS) |
駆動方式 | 液体式 |
台車形式 | DT22A・DT22C (1 - ) DT22F→N-DT54 (501 - ) |
ブレーキ方式 | DA1A自動空気ブレーキ 直通予備ブレーキ |
保安装置 | |
備考 | 501 - は一般車の数値 |
国鉄キハ54形気動車(こくてつキハ54がたきどうしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1986年から製作した気動車である。
四国向けの温暖地型(キハ54 1 - )北海道向けの酷寒地型(キハ54 501 - )の2種が製作されたが、各部の仕様・形態には相応の差異がある。
目次 |
[編集] 概要
1987年の国鉄分割民営化に先立ち、経営困難が予想された「三島会社」(北海道・四国・九州)の経営基盤整備を目的として、民営化直前の1986年に製作された車両群の一形式である。
「三島会社」は路線延長に占める閑散区間・非電化区間の割合が高く、当該区間で普通列車に使用する車両も経年の高い老朽車が多数を占めていた。民営化後の車両計画にあっては、これら「三島会社」の地理的経済的条件を主因とする脆弱な経営基盤に配慮して、国鉄最終年度の予算で当該地区向けの新形車両を製作し、将来の車両置換え負担を軽減する方法が採られた。
この計画[1]に基づき、全長 21m 級の両運転台式一般形気動車として製作された車両群がキハ54形である。北海道向けの酷寒地仕様、四国向けの温暖地仕様の2種が計画され、国鉄最終年度の1986年に新潟鐵工所(現・新潟トランシス)と富士重工業の2社で合計41両が製作された。
耐候性に優れるステンレス製軽量車体の採用、勾配や積雪に耐える性能を得るためのエンジン2基搭載など、地域の実情に応じた装備が施されている。一方、台車や変速機・運転台機器等には在来車の廃車発生部品を再利用し、一部の機器にはバス用の汎用部品を用いるなどの策で、製作コストの適正化に留意している。
[編集] 構造
本節では共通部分について記述し、各仕様特有の構造については後段にて説明する。
- 車体
21m級の構体で、外部構造にステンレスを用いる。塗装工程省略などのメンテナンスフリーや軽量化目的のほか、ステンレス車体が1985年以降国鉄電車に本格採用されて一般化し、製造コストが下がってきたこと、また北海道では酷寒な気候や海岸部での塩害に対する耐久性が要求されたことなどが挙げられる。構造簡素化のため幅広車体とはされず、車体裾は絞りのない直線形状である。側面窓上下には外板歪みを防ぐビード加工がなされる。客用扉は車体両端に片側2扉を配置する。
運転台を車体の前後に設ける両運転台式で、ワンマン運転時の乗降監視を容易にするため低運転台としている。
正面形状は平妻貫通式で、運転台窓回りを黒色とした大窓風の意匠を採用する。運転台窓上には種別・行先表示器を設ける。前面と側面の接合部は白色のFRP部材を額縁状に配する。
- 駆動系
新潟鐵工所(現・新潟原動機)製の直列6気筒ディーゼル機関DMF13HS (250PS/1,900rpm) を2基搭載し、車両の定格出力を500PSとしている。ターボチャージャー付の直噴式で始動性に優れ、メンテナンス性も改善されている。
液体変速機は再用品で、TC-2A形(神鋼造機製)DF115A形(新潟コンバータ製)のいずれかを装備する。これはキハ20系気動車などの従来車で採用された1段直結式の変速機で、逆転機の機能は内蔵しない。機関出力の向上に応じ、クラッチ周辺を強化する改造が施された。
台車は再用品のDT22系を装備する。軸箱支持はウイングバネ式、枕バネはコイルバネを用いた国鉄一般形気動車の標準仕様品である。
駆動機関以外の伝動機構が在来車両の再用品であるため、最高速度は在来形気動車と同等の 95km/h とされた。
- ブレーキ装置
在来型車同様のDA1A自動空気ブレーキを使用する。
このほか、連結器や運転台機器類も廃車発生品をオーバーホールして充当している。
[編集] 仕様別詳説
[編集] 四国仕様車
- 温暖地で使用する区分で、1987年に12両 (1 - 12) が製作された。
- 製作の経緯
- 四国島内は予讃本線の西部区間や土讃本線の四国山地越えなど、主要線区の急勾配区間が存在する。地域間輸送向けに大出力の両運転台車が必要であったが、当該地域に配置された強力型気動車は1960年代に製作された急行形車両が主であり、両運転台車は低出力の1機関搭載車が多数を占めていた。
- 仕様
- 四国島内の地域輸送に専用するため、短距離輸送に特化した収容力・運用コストを重視した仕様で製作された。
- 外部塗色は、当初はステンレス地に黄かん色のストライプを斜めに配した。JR移行後にコーポレートカラーの青色を基調とした塗色に変更[2]された。
- 客室窓は二段式の大型ユニット窓である。客用扉は 900mm 幅の全面ガラス仕様で、折戸として戸袋を省略している。バス用のドアエンジンを利用したほか、ドアロック機構を装備し、出発・到着時に自動で施錠・解錠をおこなう仕様である。正面下部のスカートは省略された。
- 客室の座席配置はロングシートとされ、キハ38形と同一のバケットシートを用いて定員乗車を図っている。トイレは設置されず、室内のデッキ仕切りもない。冷房装置はバス用の機器を流用し、走行用エンジンの余裕出力を用いてコンプレッサーを走行用エンジンで駆動する機関直結式としている。
[編集] 北海道仕様車
- 酷寒地で使用する区分で、1986年に29両 (501 - 529) が製作された。過酷な気象条件の中での運用に備え、随所に凍結対策が施される。排雪走行や動物との衝突などに備え、運転台下にはスカートが装備される。
- 製作の経緯
- 北海道の非電化路線は冬期の積雪と列車頻度などの条件により、走行する列車自身に線路上の積雪を除去させる排雪走行の能力を要する。国鉄では北海道向けの2機関搭載両運転台車は長く製作されず、キハ22形・キハ40形などの1機関搭載車を地域輸送に使用していた。これらの形式は出力に余裕がなく、冬季は冗長性確保のため2両以上の編成で運行する対応がとられた。輸送実績に比し過大な運用コストが加重することから、この運用方の解消は長年の課題であった。
- 1986年には2機関搭載の両運転台車キハ53形500番台が深名線などに投入された。これは急行形気動車キハ56形の改造車で、車両の経年等から長期の使用を想定しうるものではなかった。
- 仕様
- 客室窓は小型の一段上昇式で、車内側にFRP枠の内窓を備えた二重窓である。客室扉は 850mm 幅の引戸で、氷雪対策として機関廃熱利用の温水ヒーターを装備する。開閉はドア横の押しボタンによる半自動仕様[3]である。ドアチャイムはドア付近の天井に設けられ、閉まるときのみ鳴動する仕様である。
- 室内は出入台と客室を仕切るデッキ仕切扉を設けるが、仕切り腰部から上をガラス張りとして展望を良くし、同時にワンマン運転時の運転士の車内監視に資している。
- 車体には赤を主体として下部にクリームと黒の細線を配したテープを貼付する。
- 製作当初の座席配置は、出入台付近を四国仕様と同一のバケット式ロングシートとしたセミクロスシートとして長距離乗車に適応させた。クロスシート部はバス用座席に類似するヘッドレスト独立型の簡易設計である。モケットの色はオレンジ色が基本であるが、所々に黄色を点在させてアクセントとしていた。
- 長距離運用に備え、トイレを設置する。当初はFRPユニット式(和式)の垂れ流し式であった[4]が、後に洋式便器使用の循環式に改造され、汚物タンクは床下に設置するスペースがないため床上に追設された。水タンクは屋上に設置され、ポンプ等を使用しない重力給水式である。
- 冷房は装備せず扇風機のみを室内に設置し、屋上には通風器を配置する。暖房装置はカーヒーター方式を用いた強力な仕様である。
- 駆動系は、1台の機関を停止し1機関での走行も可能な仕様とされた。排雪対策を要しない夏季の運用コストに配慮した仕様であったが、車重や使用線区の線路条件に鑑み、実際の運用では通年にわたって2機関を使用する[5]。台車は軸バネにゴム被覆を施したDT22F形で、凍結による減衰機能喪失を防止する。
- 急行仕様 (527 - 529)
- 旭川 - 稚内間の宗谷本線急行「礼文」専用車として製作され、0系新幹線電車の廃車発生品である転換クロスシートを当初から装備した。識別のため、窓上に赤帯が追加されている。
- この3両は「礼文」での運用を主とし、間合いで快速・普通列車運用にも充当されたが、2000年3月ダイヤ改正で「礼文」が廃止され、以後は他のキハ54形同様に運用されている。
[編集] 改造
- 鹿笛追設
- 警笛は在来車と同様のタイフォンを装備していたが、釧路運輸車両所所属車については、野生動物、特にエゾシカとの衝突事故が多発する路線事情に対応するため、「鹿笛」と呼ばれる甲高い音色のホイッスルに交換されている。屋上装備で、耐雪カバーに覆われている。元々の警笛が付いていた部分はステンレス板で塞がれた。最近は旭川運転所所属車にも同様の警笛が取り付けられている。
- 機器更新
- 駆動系主要機器について、流用部品を更新する工事を2003年 - 2005年に実施した。
- 液体変速機を直結2段式の N-DW54 形に換装し、推進軸も軽量化されたものに交換された。制御装置は電気式の自動進段装置を装備し、変速段と直結段の切替が自動化された。他車への切替指令を可能とするため変直切替ハンドルを追加装備し、キハ40形気動車など手動切替式の在来気動車とも併結運転が可能である。
- 台車は軸梁式ボルスタレス台車 N-DT54 形に交換された。牽引装置は種車の心皿を流用している。釧路運輸車両所所属車両には台車に砂撒き装置が装備されている。
- ブレーキ装置は制御弁をE型制御弁に取替え、応荷重装置を新設したほか、特殊鋳鉄制輪子(乙32-F:JR北海道苗穂工場製)を装着して制動力を向上させた。
- 施工後は自重が約 1t 軽くなり、最高速度は 110km/h に引き上げられたが、使用線区の現状に鑑み最高速度 95km/h のまま運用されている。
- 機関は在来のままながら、排気系統にDPFを追加装着した車両が一部存在する。
- 座席交換
- 500番台一般車ものちに、観光客や長距離客に配慮し、キハ183系からの発生品である簡易リクライニングシートに座席を交換した。回転機構は使用できない。集団見合い方式の座席配置で、対面部分にはテーブルが設置されている。
- 釧路運輸車両所所属の花咲線用の車両は再交換を実施し、海峡線用のオハ50系から転用した転換クロスシートを装備した。座席のモケットは、水色地に北海道の鳥をデザインしたものに張り替えられた。
- 旭川運転所所属車両の一部には、製造当初の座席のまま、モケットのみをキハ183系同様のタンチョウ柄に張り替えたものがある。
- これら座席交換のなされた車両はいずれも、窓と座席の間隔は一致しない。
- 左:キハ54形500番台の集団お見合い式シート(釧網本線網走駅、2006年12月8日)
- 中:花咲線仕様車の転換クロスシート(2007年8月26日)
- 右:防犯カメラ搭載車(2007年10月1日)
[編集] 運用・現況
- 四国仕様車
- 松山運転所に7両を、高知運転所に5両の計12両を配置し、以下の区間で使用する。
- 運用範囲は広域に及ぶ。予讃線での運用は、1エンジン小型車のキハ32形が駆動力不足により、登坂の際に空転を頻発させて運行に支障を来したことから、これを代替する目的で充当されているものである。
- 予土線でのトロッコ列車運転期間には、出力に余裕のあるキハ54形がトラ45000形トロッコ車の牽引車に用いられ、貫通ドアには「アンパンマン」の主要キャラクターのステッカーが貼られている。
- 北海道仕様車
- 製造当初は苗穂運転所や函館運転所にも配置したが、現在は釧路運輸車両所・花咲線運輸営業所・旭川運転所・宗谷北線運輸営業所(名寄市)に配置する。気象条件が厳しく、長距離運用の多い道北・道東で主に運用される。
- 旭川運転所配置車
- 石北本線では特別快速「きたみ」も担当する。
- 急行仕様車は留萌本線での通勤通学需要に適応させるため、同線での使用を一時中断の上で2007年9月に一部座席の撤去工事を実施し、引き続き同線で使用される。
- 宗谷北線運輸営業所配置車
- 宗谷本線(全区間)
- 釧路運輸車両所・花咲線運輸営業所配置車
- 花咲線用の車両は、台車交換工事施工時に車体の帯をハマナスの花の色に似たピンク1色のテープに変更した。520は車体全体に花をあしらったデザインのラッピングを施されたが、同車は2007年3月1日に石北本線で発生した踏切事故で罹災し、同年3月7日付けで廃車となった。
- 左:キハ54 520 台車交換済み ラッピング車(釧網本線中斜里駅付近、2005年9月15日)
- 中:キハ54 526 花咲線仕様の車体帯に変更済み(根室本線釧路駅、2008年5月9日)
- 右:根室駅構内に留置中のキハ54形(2006年12月)
[編集] 脚注
[編集] 参考文献
- 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』2004年2月号 No.742 p27 - 29