ジム・クーリエ
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ジム・クーリエ |
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基本情報 |
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ラテン文字名 | Jim Courier |
フルネーム | James Spencer Courier |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | 同・フロリダ州サンフォード |
生年月日 | 1970年8月17日 |
身長 | 185cm |
体重 | 82kg |
利き手 | 右 |
バックハンド | 両手打ち |
ツアー経歴 |
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デビュー年 | 1988年 |
引退年 | 2000年 |
ツアー通算 | 29勝 |
シングルス | 23勝 |
ダブルス | 6勝 |
生涯通算成績 | 630勝334敗 |
シングルス | 506勝237敗 |
ダブルス | 124勝97敗 |
4大大会最高成績 |
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全豪 | 優勝(1992・1993) |
全仏 | 優勝(1991・1992) |
全英 | 準優勝(1993) |
全米 | 準優勝(1991) |
優勝回数 | 4(全豪2・全仏2) |
キャリア自己最高ランキング |
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シングルス | 1位 |
ダブルス | 20位 |
Template |
ジム・クーリエ(Jim Courier, 1970年8月17日 - )は、アメリカ・フロリダ州サンフォード出身の男子プロテニス選手。1990年代初頭に活躍し、全豪オープンと全仏オープンでそれぞれ大会2連覇を達成した。アメリカの同世代男子選手にはアンドレ・アガシ、ピート・サンプラス、マイケル・チャンなどがいて、特にアガシとは少年時代からのライバルだった。ATPツアーでシングルス23勝、ダブルス6勝を挙げる。身長185cm、体重82kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。フルネームは James Spencer Courier (ジェームズ・スペンサー・クーリエ)という。
クーリエは元野球少年だったことから、バックハンド・ストロークはまるで野球のスイングのようなフォームであった。フォアハンド・バックハンドともに、ガツンとボールにラケットにぶち当てる強力なグラウンド・ストロークを武器にした。
1988年に18歳でプロ転向。1991年の全仏オープン決勝戦でアンドレ・アガシを 3-6, 6-4, 2-6, 6-1, 6-4 のフルセットで破り、4大大会初優勝を飾る。(全仏で2年連続の準優勝に終わったアガシは、この当時“万年準優勝男”と呼ばれた。)それからめきめきと頭角を現したクーリエは、この年の全米オープンでも決勝に進出したが、ステファン・エドベリに敗れている。1992年に全豪オープンと全仏オープンで4大大会2連勝を達成。年間グランドスラムへの期待がかけられたが、苦手な芝生のウィンブルドン3回戦で予選勝者のアンドレイ・オルホフスキー(ロシア)に敗退する。1993年の全豪オープンでもステファン・エドベリを破り、大会2連覇を果たした。ところが大会3連覇を目指した全仏オープンの決勝で、クーリエはセルジ・ブルゲラ(スペイン)に 4-6, 6-2, 2-6, 6-3, 3-6 のフルセットで敗れてしまう。続くウィンブルドンでは大会期間中、全く雨の降らない好天の中で初の決勝進出を果たしたが、同じアメリカのピート・サンプラスに 6-7, 6-7, 6-3, 3-6 で敗れて準優勝に終わる。この決勝2連敗で意気消沈したクーリエは、全米オープンの4回戦で第15シードのセドリック・ピオリーン(フランス)に敗れ去り、一気に急降下していった。
1994年の夏に一時的な「休養宣言」を発表する。世界ランキング1位に通算「58週」在位したが、ピート・サンプラスに比べると“短命な王者”に終わり、1995年以後は全盛期の勢いを取り戻すことはできなかった。(ちなみに、クーリエが制覇した4大大会では、女子シングルス優勝者はすべてモニカ・セレシュであった。)
クーリエは2000年5月に現役引退を表明した。2005年7月9日に国際テニス殿堂入りを果たしている。
[編集] 4大大会優勝
年 | 大会 | 対戦相手 | 試合結果 |
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1991年 | 全仏オープン | アンドレ・アガシ | 3-6, 6-4, 2-6, 6-1, 6-4 |
1992年 | 全豪オープン | ステファン・エドベリ | 6-3, 3-6, 6-4, 6-2 |
1992年 | 全仏オープン | ペトル・コルダ | 7-5, 6-2, 6-1 |
1993年 | 全豪オープン | ステファン・エドベリ | 6-2, 6-1, 2-6, 7-5 |
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- ジム・クーリエ (英語) - ATPツアーのプロフィール
- Jim Courier interview
男子テニス世界ランキング1位 | |
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