シャルル9世 (フランス王)
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シャルル9世(Charles IX de France, 1550年6月27日 - 1574年5月30日、在位1561年 - 1574年)はヴァロア朝第12代フランス王。父はアンリ2世。母はカトリーヌ・ド・メディシス。
フランス王フランソワ2世の弟。
幼少のころ結核に罹り、病弱であった。10歳で即位したものの実権は母后であるカトリーヌに握られ、また彼はプロテスタントであるコリニー提督を登用し、父以上に慕っていた。だが、1572年のサン・バルテルミの虐殺でコリニーが暗殺され、彼はそのショックに耐え切れず全員殺せと叫んでいたと伝えられている。黒幕は母カトリーヌであるとされたが、実際に虐殺の命令を出したのは、ギーズ公とも言われるが、シャルル9世説もある。
この事件が彼の寿命を縮めたのか、2年後の1574年5月30日、死去した。
1570年に神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世の娘エリザベートと結婚した。サン・バルテルミの虐殺と同じ1572年に一人娘マリー・エリザベートが生まれたが、1578年に夭逝した。
1564年にシャルル9世が1月1日を新年とする暦を採用した(かつては3月25日を新年とした)。これに反発したフランス国民が、4月1日を「嘘の新年」とし、馬鹿騒ぎをはじめたために、シャルル9世は町で「嘘の新年」を祝っていた人々を逮捕し、片っ端から処刑する事を命令。 フランスの人々は、この事件に非常にショックを受け、フランス王への抗議と、この事件を忘れない為に、その後も毎年4月1日になると盛大に「嘘の新年」を祝うようになっていった。これをエイプリルフールの始まりとし、シャルル9世がそのきっかけを作ったとする説があるが、起源としては確証を欠いているため仮説の域に留まっている。事実、エイプリルフールは現在も起源不明となっているため、シャルル9世との関連性は無いとされている。
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