アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
基本情報 | ||||||||
本名 | アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ | |||||||
通称 | ミノタウロ 柔術マジシャン リオの沈まぬ太陽 千の技を持つ男 |
|||||||
国籍 | ブラジル | |||||||
誕生日 | 1976年6月2日(32歳) | |||||||
出身地 | ブラジル バイーア州 ヴィトリア・ダ・コンキスタ |
|||||||
所属 | ブラジリアン・トップチーム →チーム・ノゲイラ チーム・ミノタウロ |
|||||||
身長 | 191cm | |||||||
体重 | 107kg | |||||||
階級 | ヘビー級 | |||||||
スタイル | ブラジリアン柔術 ボクシング |
|||||||
テーマ曲 | 「NO WAY OUT」(ZZ) |
アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ(Antônio Rodrigo Nogueira、1976年6月2日 - )は、ブラジル出身の男性総合格闘家。チーム・ノゲイラ所属。また母国ブラジルにチーム・ミノタウロを主宰。元PRIDEヘビー級王者、現UFC世界ヘビー級暫定王者。ニックネームは牛頭人身の怪物「ミノタウロ(Minotauro)」。
一卵性双生児の弟アントニオ・ホジェリオ・ノゲイラも総合格闘家である。
目次 |
[編集] 来歴
1976年、ヴィトリア・ダ・コンキスタの農場で父アミルトン、母マリーナの間に生まれる。格闘技歴は長く、5歳から柔道を始め、10代半ば頃にはブラジルのボクシング五輪コーチのルイス・カルロス・ドリアからボクシングを学んでいた[1]。
1993年、アメリカで開催されたUFCでのホイス・グレイシーの活躍に憧れ、17歳の時ヒカルド・デラヒーバの弟子ギリェルメ・アサッドのもとでブラジリアン柔術を始める。その後はデラヒーバに直接師事して実力を伸ばし、1999年、22歳でデラヒーバからブラジリアン柔術黒帯を取得。同年6月12日、WEF6のデビッド・ドッド戦でプロ総合格闘技デビュー。
マリオ・スペーヒー、ムリーロ・ブスタマンチらがカーウソン・グレイシー柔術アカデミーの分裂に際してヒカルド・デラヒーバに顧問を懇願したが、師であるカーウソンに敵対する行為は出来ないと断られ、代わりに己の全ての技を伝授した愛弟子としてスペーヒーらの下に預けられ、スペーヒー、ブスタマンチらとともにブラジリアン・トップチームとして独立。
1999年10月28日、リングス参戦のために初来日。『RINGS KOK 1999』ではヴァレンタイン・オーフレイム、コーチキン・ユーリ、アンドレイ・コピィロフを破るも、準決勝でダン・ヘンダーソンに判定で敗れベスト4。
2000年1月15日、WEF 8ではジェレミー・ホーンを判定で破り、WEFヘビー級王者となる。
2000年に開催された第3回アブダビコンバット99kg以上級に出場。1回戦でショーン・アルバレスにポイント勝ちするものの、2回戦でリコ・ロドリゲスに膝十字固めで一本負け。
2000年の『RINGS KOK 2000』ではラバザノフ・アフメッド、田村潔司、ヴォルク・ハン、金原弘光、ヴァレンタイン・オーフレイムを立て続けに破り優勝を果たす。
2001年より総合格闘技イベントPRIDEに参戦。ゲーリー・グッドリッジ、マーク・コールマンを破った後、PRIDE.17においてヒース・ヒーリングとの王座決定戦を制し、初代PRIDEヘビー級王者に輝く。
2002年8月28日、Dynamite!でボブ・サップと対戦。実に50kg以上にも及ぶ体重差とサップのパワーに苦しめられるが、腕ひしぎ十字固めにより逆転一本勝利を収める。同年12月23日のPRIDE.24ではリングス時代に唯一敗北を喫したダン・ヘンダーソンと再戦。オモプラッタで主導権を握り、腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収めた。
2003年3月16日、PRIDE.25でエメリヤーエンコ・ヒョードルとの初防衛戦に挑んだが、ノゲイラの寝技を研究し尽くしたヒョードルの戦略と強烈なパウンドの前になす術がなく、判定で敗れ王座陥落。
2004年に開催されたPRIDEヘビー級GPでは、1回戦で横井宏考、2回戦でヒース・ヒーリングにいずれも新技スピニングチョークで一本勝ち。なお、この技を最初に考案したのはホアン・ジュカオン・カルネイロであり、ジュカオンがホジェリオに教えた後にホジェリオからホドリゴへ伝わったとされる[2]。
2004年8月15日、GP準決勝でセルゲイ・ハリトーノフを判定で下し、決勝では因縁のヒョードルと再戦するも、偶然のバッティングによりヒョードルが出血したため、無効試合に終わる。同年大晦日のPRIDE 男祭り 2004でヘビー級王座とヘビー級GP王座の両タイトルを賭けて再々戦するが、またも判定で敗れリベンジに失敗している。
2006年9月10日のPRIDE無差別級グランプリの準決勝におけるジョシュ・バーネットとの試合においてPRIDE史上に残る寝技対決の末、僅差の判定1-2で敗れるも、2006年12月31日の再戦ではフルマークの判定勝利を収め、リベンジを果たした。
2007年4月5日のUFC Fight Night 9をUFCのダナ・ホワイト社長とともに観戦し、続く4月8日のUFC 69でオクタゴンに登場。ダナ・ホワイト社長からUFCに参戦することが正式に発表された。また、これに前後して長年在籍したブラジリアン・トップチームを脱退。アメリカン・トップチームやブラック・ハウスでトレーニングを積みながら、アメリカに自身の新しいチーム「チーム・ノゲイラ」を発足[3]。
2007年7月7日、UFCデビューとなるUFC 73のヒース・ヒーリングとの3度目の対戦では、1R終盤にヒーリングのハイキックでダウンを奪われるも、それ以外では終始試合を支配して判定勝ちを収めた。
2008年2月2日、UFC 81のUFC世界ヘビー級暫定王者決定戦でティム・シルビアと対戦。1Rにはダウンを奪われるなど劣勢であったが、3Rにスイープからのフロントチョークで一本勝ちを収め、UFC世界ヘビー級暫定王者となった。また、この試合は同大会のファイト・オブ・ザ・ナイトに選ばれた[4]。
[編集] 人物
- 大の日本贔屓で、好きな日本食は寿司、好きな街は六本木。
- 総合格闘技における柔術の技術の高さからPRIDEでは「柔術マジシャン」と称された。また無尽蔵のスタミナを誇り、終始一定のペースで試合をすることができる。
- ピーター・アーツやペドロ・ヒーゾ、ボクシングのキューバ五輪代表らと打撃の練習をしていた。
- どれだけ追い込まれても、最後まで勝負を諦めない精神力を持つ。総合格闘技では30戦以上のキャリアがあるが、一度も一本、KO負けをしたことがない。Dynamite!でのボブ・サップとの壮絶な一戦や、PRIDE GRANDPRIX 2003 決勝戦におけるミルコ・クロコップ戦での大逆転劇は、現在でも語り草になっている。
- リングス時代はブラジルのサッカークラブであるCRヴァスコ・ダ・ガマのテーマ「COME WITH ME」を入場曲にしていたが、曲の入ったCDを無くしてしまったらしい。現在PRIDEでは、ZZの「NO WAY OUT」を入場曲にしている。これは、PRIDE王者時代に彼を称えるために作られた曲である。また、日本の音楽ではDragon Ashが気に入ってるらしく、ボブ・サップ戦において一度だけDragon Ashの「Revolater」と言う曲を入場曲としたことがある。
- 背中の右肩甲骨下に大きく凹んだ傷跡があるが、これは10歳の頃、トラックの下敷きになった事故で負った傷の名残である。この事故で肋骨1本と肝臓の一部を失う大怪我を負い、丸4日間生死の境を彷徨う。当事の医者には2度と歩けなくなるとまで宣告されたが、懸命のリハビリによって回復。
- 一卵性双生児の弟アントニオ・ホジェリオ・ノゲイラも総合格闘家である。2人の外見的な見分け方は、ホドリゴの方が若干体格が大きく、向かって右耳がホジェリオよりわいている点にあり、また上記の背中の傷跡の有無も2人を見分けるポイントである。加えて、スタンドでの構えがホドリゴがオーソドックスであるのに対し、ホジェリオはサウスポーである。
- 2006年5月頃より、右眼の黒い部分が白濁していることがネット上で話題となっており、眼疾が懸念されていた。現在は治療は無事完了し、まったく問題はないとノゲイラ自身は雑誌のインタビューで語っている。
- 母国ブラジルでは自身のニックネームを冠した「Minotauro Fight」を主催しており、後進の育成にも非常に積極的。将来の夢には、恵まれない子供たちを選手と育成する道場を構えることを挙げている。
- アンデウソン・シウバとの親交が深く、アンデウソンにブラジリアン柔術を教授し、ブラジリアン柔術黒帯を授与している[5]。
[編集] エピソード
- タレントの小池栄子は熱狂的なノゲイラファンとして有名。ノゲイラがミルコ・クロコップに勝利した際、テレビ放送であるにもかかわらず興奮のあまり実況席で大騒ぎしてしまい、視聴者から大顰蹙を買ったことがある。詳細は同人物の項目を参照。
- RINGS KOK 1999トーナメント準決勝でダン・ヘンダーソンと対戦した際、延長ラウンドで数度のテイクダウンを奪い、かつマウントポジションを何度も取る等、終始優勢に試合を運んだにも係らず、審議委員判定という判定によって敗れる(この審議委員の1人に、「ジャッジ小林」こと小林孝至がいた)。試合後、ミノタウロの部屋にヘンダーソンからビールが1ダース届けられた[6]。
- 2004年12月31日、「PRIDE 男祭り 2004」の会場入りが大幅に遅れてしまい、オープニングセレモニーに間に合わなかった。そのため、双子の弟のホジェリオに代打でセレモニーに参加してもらっていた[7]。
- 2004年から2005年にかけて日本テレビで放送されたバラエティ番組「アフリカのツメ」に、旅館に勤める外国人板前「ノゲイラ」役で準レギュラー出演したことがある。
[編集] 戦績
総合格闘技 戦績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
37 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
31 勝 | 2 | 20 | 9 | 0 | 1 | 1 |
4 敗 | 0 | 0 | 4 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
○ | ティム・シルビア | 3R 1:28 フロントチョーク | UFC 81: Breaking Point 【UFC世界ヘビー級暫定王者決定戦】 |
2008年2月2日 |
○ | ヒース・ヒーリング | 3R終了 判定3-0 | UFC 73: Stacked | 2007年7月7日 |
○ | ジョシュ・バーネット | 3R終了 判定3-0 | PRIDE 男祭り 2006 -FUMETSU- | 2006年12月31日 |
× | ジョシュ・バーネット | 3R終了 判定1-2 | PRIDE 無差別級グランプリ 2006 決勝戦 【無差別級GP 準決勝】 |
2006年9月10日 |
○ | ファブリシオ・ヴェウドゥム | 3R終了 判定3-0 | PRIDE 無差別級グランプリ 2006 2nd ROUND 【無差別級GP 準々決勝】 |
2006年7月1日 |
○ | ズール | 1R 2:17 腕ひしぎ十字固め | PRIDE 無差別級グランプリ 2006 開幕戦 【無差別級GP 1回戦】 |
2006年5月5日 |
○ | 田村潔司 | 1R 2:24 腕ひしぎ十字固め | PRIDE.31 Dreamers | 2006年2月26日 |
○ | パウエル・ナツラ | 1R 8:38 TKO(マウントパンチ) | PRIDE GRANDPRIX 2005 2nd ROUND | 2005年6月26日 |
× | エメリヤーエンコ・ヒョードル | 3R終了 判定0-3 | PRIDE 男祭り 2004 -SADAME- 【ヘビー級GP決勝・PRIDEヘビー級統一王座決定戦】 |
2004年12月31日 |
- | エメリヤーエンコ・ヒョードル | 1R 3:52 無効試合 | PRIDE GRANDPRIX 2004 決勝戦 【ヘビー級GP 決勝】 |
2004年8月15日 |
○ | セルゲイ・ハリトーノフ | 2R終了 判定3-0 | PRIDE GRANDPRIX 2004 決勝戦 【ヘビー級GP 準決勝】 |
2004年8月15日 |
○ | ヒース・ヒーリング | 2R 0:30 スピニングチョーク | PRIDE GRANDPRIX 2004 2nd ROUND 【ヘビー級GP 準々決勝】 |
2004年6月20日 |
○ | 横井宏考 | 2R 1:25 スピニングチョーク | PRIDE GRANDPRIX 2004 開幕戦 【ヘビー級GP 1回戦】 |
2004年4月25日 |
○ | ミルコ・クロコップ | 2R 1:45 腕ひしぎ十字固め | PRIDE GRANDPRIX 2003 決勝戦 【ヘビー級暫定王者決定戦】 |
2003年11月9日 |
○ | リコ・ロドリゲス | 3R終了 判定3-0 | PRIDE GRANDPRIX 2003 開幕戦 | 2003年8月10日 |
× | エメリヤーエンコ・ヒョードル | 3R終了 判定0-3 | PRIDE.25 【PRIDEヘビー級タイトルマッチ】 |
2003年3月16日 |
○ | ダン・ヘンダーソン | 3R 1:49 腕ひしぎ十字固め | PRIDE.24 | 2002年12月23日 |
○ | セーム・シュルト | 1R 6:36 三角絞め | PRIDE.23 | 2002年11月24日 |
○ | ボブ・サップ | 2R 4:03 腕ひしぎ十字固め | Dynamite! SUMMER NIGHT FEVER in 国立 | 2002年8月28日 |
○ | 菊田早苗 | 2R 0:29 KO(右ストレート) | UFO LEGEND | 2002年8月8日 |
○ | エンセン井上 | 1R 6:17 三角絞め | PRIDE.19 | 2002年2月24日 |
○ | ヒース・ヒーリング | 3R終了 判定3-0 | PRIDE.17 【PRIDEヘビー級タイトルマッチ】 |
2001年11月3日 |
○ | マーク・コールマン | 1R 6:10 腕ひしぎ三角固め | PRIDE.16 | 2001年9月24日 |
○ | ゲーリー・グッドリッジ | 1R 2:37 三角絞め | PRIDE.15 | 2001年7月29日 |
○ | ヴァレンタイン・オーフレイム | 1R 1:20 肩固め | RINGS KING OF KINGS 2000 GRAND FINAL 【決勝】 |
2001年2月24日 |
○ | 金原弘光 | 2R 0:21 チョークスリーパー | RINGS KING OF KINGS 2000 GRAND FINAL 【準決勝】 |
2001年2月24日 |
○ | ヴォルク・ハン | 2R終了 判定3-0 | RINGS KING OF KINGS 2000 GRAND FINAL 【準々決勝】 |
2001年2月24日 |
○ | 田村潔司 | 2R 2:29 腕ひしぎ十字固め | RINGS KING OF KINGS 2000 Aブロック 【2回戦】 |
2000年10月9日 |
○ | ラバザノフ・アフメッド | 1R 1:38 腕ひしぎ十字固め | RINGS KING OF KINGS 2000 Aブロック 【1回戦】 |
2000年10月9日 |
△ | 高阪剛 | 2R終了 判定1-0 | RINGS MILLENNIUM COMBINE III | 2000年8月23日 |
× | ダン・ヘンダーソン | 延長R終了 判定1-2 | RINGS KING OF KINGS 1999 GRAND FINAL 【準決勝】 |
2000年2月26日 |
○ | アンドレイ・コピィロフ | 2R終了 判定1-0 | RINGS KING OF KINGS 1999 GRAND FINAL 【準々決勝】 |
2000年2月26日 |
○ | ジェレミー・ホーン | 3R終了 判定3-0 | WEF 8 - Goin' Platinum | 2000年1月15日 |
○ | コーチキン・ユーリ | 1R 0:40 腕ひしぎ十字固め | RINGS KING OF KINGS 1999 Aブロック 【2回戦】 |
1999年10月28日 |
○ | ヴァレンタイン・オーフレイム | 1R 1:51 V1アームロック | RINGS KING OF KINGS 1999 Aブロック 【1回戦】 |
1999年10月28日 |
○ | ネート・シュローダー | 1R 1:52 腕ひしぎ十字固め | WEF 7 - Stomp in the Swamp | 1999年10月9日 |
○ | デビッド・ドッド | 1R 腕ひしぎ十字固め | WEF 6 | 1999年6月12日 |
[編集] 獲得タイトル
- UFC世界ヘビー級暫定王座(2008年)
- PRIDE GP 2004 準優勝(2004年)
- PRIDEヘビー級暫定王座(2003年)
- 初代PRIDEヘビー級王座(2001年)
- RINGS KOK 2000トーナメント 優勝(2001年)
- WEFヘビー級王座(2000年)
- 1999年ブラジリアン柔術世界選手権(ムンジアル)黒帯アブソルート級 3位
- ブラジリアン柔術リオデジャネイロ選手権 優勝7回[要出典]
- ブラジリアン柔術ノースイースタン選手権 優勝6回[要出典]
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
[編集] 脚注
- ^ 格闘王国を往く(1) アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ Number Web
- ^ VALE TUDO ノゲイラ最強への道(DVD付書籍、東京漫画社)ISBN 978-4902671513
- ^ Number 681(2007年7月5日号インタビュー)
- ^ 史上初 PRIDE&UFCヘビー級王者ノゲイラが語る、戴冠の真実、クートゥアー戦、日本マットへの思い。=GONKAKU[2.2 UFC 81 -Breaking Point-] スポーツナビ 2008年2月23日
- ^ Tatame has Anderson Silva Interview LOCKFLOW.com 2006年8月9日
- ^ ブラジリアン柔術入門(ベースボール・マガジン社、2003年)ISBN 4-583-61212-5
- ^ ジャンクSPORTS トークダイジェスト 3月13日『スポーツコメンテーター』 フジテレビ公式サイト 2005年3月13日
前優勝者 |
RINGS KOK 2000無差別級トーナメント優勝 2001年2月24日 |
次優勝者 |
前王者 N/A |
初代PRIDEヘビー級王者 2001年11月3日 - 2003年3月16日 |
次王者 |
前王者 N/A |
PRIDEヘビー級暫定王者 2003年11月9日 - 2004年12月31日 |
次王者 |
前王者 N/A |
UFC世界ヘビー級暫定王者 2008年2月2日 - 現在 |
次王者 |