HIROYA
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基本情報 | |
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本名 | 河部 弘也(かわべ ひろや) |
通称 | 魔裟斗が認めた天才 最強の15歳 |
階級 | ピン級(WMF) |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1992年1月6日(16歳) |
出身地 | 日本神奈川県 愛甲郡愛川町 |
命日 | |
死地 | |
スタイル | キックボクシング、空手 |
プロキックボクシング戦績 | |
総試合数 | |
勝ち | |
KO勝ち | |
敗け | |
引き分け | |
無効試合 |
HIROYA(ひろや、1992年1月6日 - )は、日本のキックボクサー。本名:河部 弘也(かわべ ひろや)。神奈川県愛甲郡愛川町出身。身長167cm、体重60kg。アマチュアムエタイ世界選手権ジュニア部門ピン級金メダリスト。15歳でK-1デビューしたことから「最強の15歳」と称された。
2007年3月の中学卒業後、タイ・バンコクのインターナショナルハイスクールへ留学し、ハイスクールに通いながらムエタイの修行を行っている。
魔裟斗の後継者として期待されている。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] 幼少期
3歳から空手を始め、小学4年生からキックボクシングを始める。
2003年、11歳で「K-1ちびっこファイト」に出場、魔裟斗に対面を果たした。
[編集] 国際大会出場
2005年3月19日 - 26日にタイのタマサート大学で行われた「2005 W.M.F. WORLD CHAMPIONSHIP」に参加。男子ジュニア部門のピン級で優勝した。2006年2月23日 - 3月1日にはインドのバンガロール市内にあるインドアスタジアムで行われた「2nd OPEN ASIAN KICK BOXING CHAMPIONSHIP 2006」に参加。男子ジュニア・ローキック部門54kg級で優勝し、男子フルコンタクト部門48kg級王者との対決を制した。2006年3月に再びWMF主催の世界選手権に参加。男子ジュニア部門バンタム級で準優勝を果たした。
[編集] K-1参戦
2006年9月、魔裟斗が所属するシルバーウルフジムを単身で訪れ、自分の技術を見せた(当初、魔裟斗は彼のことを自分のファンだと思い込んでいた)。すると、その技術に驚いた魔裟斗が谷川貞治K-1プロデューサーにそのことを報告、同プロデューサーがそのことをHIROYA本人に伝え、K-1参戦が決定した。
2007年2月5日、アマチュアルールでK-1 WORLD MAX 2007 〜日本代表決定トーナメント〜のワンマッチに15歳で参戦。20歳の高橋明宏を3Rにローキックでタオル投入によるTKOで下しK-1初勝利を飾った。
2007年4月4日、K-1 WORLD MAX 2007 〜世界最終選抜〜において、第0試合として西村憲孝と対戦。1Rに3度のダウンを奪い、1RKO勝ち。
2007年4月19日、タイ・バンコクのインターナショナルハイスクールへ留学するため、日本を離れた。
2007年6月23日、K-1 WORLD GP 2007 IN AMSTERDAMにおいて、18歳のオランダ人選手ロイ・タンとスペシャルマッチで対戦し、判定勝ち。
2007年9月1日、日タイ修好120周年記念認可事業 ムエタイ日-タイ交流戦 INHERIT〜伝承〜 〜第9回NPO法人Kリーグインターナショナルネットワークス国際大会〜において、サクダー・ルークロムクラーオと対戦。2RKO勝ち。
2007年10月3日、K-1 WORLD MAX 2007 〜世界一決定トーナメント決勝戦〜において、高校3年生の韓国人選手クォン・オルチャンと対戦。お互いに最後までKOを狙う攻防となったが、勝負は判定での勝利となった。
2007年12月31日、K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!で開催された「K-1甲子園 U-18日本一決定トーナメント」に出場。1回戦で才賀紀左衛門と対戦し判定勝ちを収めたが、決勝で雄大と打ち合った結果、延長ラウンドで判定負け。
2008年1月3日、「K-1甲子園」で優勝できなかったケジメとして、頭を丸刈りにした。
2008年2月2日、K-1 WORLD MAX 2008で行われたオランダとの3対3対抗戦・大将戦でロビー・ハヘマンと対戦し、2RKO勝ち。
2008年4月9日、K-1 WORLD MAX 2008で大晦日に対戦が流れた藤鬥嘩裟と改めて対戦し、判定勝ち。試合前から舌戦を繰り広げた。
[編集] 戦績
[編集] プロキックボクシング
キックボクシング 戦績 | ||||||
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8 試合 | (T)KO | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 | |
7 勝 | 3 | 4 | 0 | 0 | 0 | |
2 敗 | 0 | 2 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
× | スックカセーム・ギャットヨンユット | 5R終了 判定0-3 | ラジャダムナンスタジアム「KIATYONGYUT BATTLE」 【ムエタイルール】 |
2008年5月22日 |
○ | 藤鬥嘩裟 | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 2008 World Championship Tournament FINAL16 【K-1 WORLD YOUTH 特別試合】 |
2008年4月9日 |
○ | ロビー・ハヘマン | 2R 2:07 KO(右フック) | K-1 WORLD MAX 2008 〜日本代表決定トーナメント〜 【K-1 WORLD YOUTH 2008 - International Team Competition -】 |
2008年2月2日 |
× | 雄大 | 延長R終了 判定1-2 | K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!! 【K-1甲子園 U-18日本一決定トーナメント 決勝】 |
2007年12月31日 |
○ | 才賀紀左衛門 | 3R終了 判定3-0 | K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!! 【K-1甲子園 U-18日本一決定トーナメント 1回戦】 |
2007年12月31日 |
○ | クォン・オルチャン | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 2007 〜世界一決定トーナメント決勝戦〜【スーパーファイト】 | 2007年10月3日 |
○ | サクダー・ルークロムクラーオ | 2R TKO(レフェリーストップ、右フック) | 日タイ修好120周年記念認可事業 ムエタイ日-タイ交流戦 INHERIT〜伝承〜 〜第9回NPO法人Kリーグインターナショナルネットワークス国際大会〜 【ムエタイルール】 |
2007年9月1日 |
○ | ロイ・タン | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2007 IN AMSTERDAM 【スペシャルファイト K-1特別ルール】 |
2007年6月23日 |
○ | 西村憲孝 | 1R 2:47 KO(パンチ連打、3ノックダウン) | K-1 WORLD MAX 2007 〜世界最終選抜〜 | 2007年4月4日 |
[編集] アマチュアキックボクシング
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
○ | 高橋明宏 | 3R 2:45 TKO(タオル投入:左フックでダウン後) | K-1 WORLD MAX 2007 〜日本代表決定トーナメント〜 【アマチュアルール】 |
2007年2月5日 |
[編集] 関連
- アマチュア時代にグローブ空手、キックボクシングで雄大と対戦し1敗1分け。K-1ルールと合わせて戦績は2敗1分けとなり相性が悪い。
- 吉鷹弘や小野瀬邦英は素晴らしい逸材と言うが、タイは誘惑が多いから…と心配している。
- 西村戦の前に谷川貞治プロデューサーと勝ったらパソコンを買ってもらう約束をしており、試合に勝利し約束通りパソコンを買ってもらった。費用は谷川のポケットマネーから出された。
- 2007年12月24日、関口宏の東京フレンドパークIIにおいて、K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!に出場する格闘家軍団(角田信朗、桜庭和志、武蔵、ベルナール・アッカ、アンディ・オロゴン、本人)の一人として来園し、やや緊張した面持ちであったが持ち前の運動神経と器用さでそつのない活躍を見せた。また、スタジオにはHIROYAの家族も応援に来ていた。
[編集] 入場曲
- 「The Beauty Of Silence」(Svenson & Gielen)
[編集] 獲得タイトル
- 2005年度 WMF世界アマチュアムエタイ選手権大会 ジュニア部門ピン級(42-45kg) 優勝
- 2006年度 WMF世界アマチュアムエタイ選手権大会 ジュニア部門バンタム級(54kg) 準優勝
- 2006年度 AFK第2回オープンアジアキックボクシング選手権大会 男子ジュニア・ローキック部門54kg級 優勝