黒田長経
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黒田 長経(くろだ ながつね、寛保2年(1742年) - 宝暦13年8月26日(1763年10月3日))は、筑前国福岡藩の第6代藩主・黒田継高の次男。母は側室三隅氏。同母妹が二人存在する。
兄・重政が早世したため黒田家の後継者となるはずであったが、後を継がぬうちに亡くなった。この結果、継高の男子は全ていなくなり、黒田家は養子による相続を行わねばならなくなった。当初継高は外孫による後継を考えていたが、幕府の意向により一橋徳川家より養子を迎えることとなる。これが黒田治之である。治之の正室には黒田重政の娘が迎えられ、女系を通しての黒田家の血統の保存が図られたが、治之にも男子はなく、福岡藩主家における黒田如水・黒田長政の血統は断絶した。