鹿児島茶
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鹿児島茶(かごしまちゃ)は、鹿児島県で栽培されている茶である。鹿児島県は荒茶生産量が静岡県に次いで日本第2位であるが、その多くは他産地のブレンド用として流通している。1992年頃より「かごしま茶」というブランド名が用いられるようになった。
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[編集] 生産
最大の栽培地域は南九州市から枕崎市にかけて広がる南薩台地付近であり、県内における茶栽培面積の約40パーセントを占める。そのほか鹿児島市付近の中薩台地、さつま町から霧島市にかけての北薩火山群および霧島山の山裾、志布志市から曽於市にかけての鰐塚山地南西部が主要栽培地域である。
茶畑は大規模化と機械化が進んでおり、2006年(平成18年)における栽培面積は8460ヘクタール、鹿児島県内ではイネ、サツマイモに次ぐ栽培面積を有する。荒茶生産量は2万3千トンで日本の25.4パーセントを占めているが、大部分は仕上げ加工において他産地の茶にブレンドされ他産地のブランド名を冠して市販される。このような中にあっても特に知覧茶とみぞべ茶は独自のブランドとして認知されている。
[編集] 特徴
栽培される品種は日本茶用として一般的な「やぶきた」に加えて、香りの強い「ゆたかみどり」や色の良い「あさつゆ」などがある。ブレンド用として様々な要求に応えるために多くの品種が栽培されている。
温暖な気候のため4月前半から「走り新茶」として流通する。特に種子島では3月後半から収穫が可能であり、日本で最も早く出回る「大走り新茶」として知られている。
[編集] 歴史
鹿児島県における茶の栽培は鎌倉時代初期に平家の落人が阿多白川(南さつま市)にもたらしたとする言い伝えがあるが、記録として残っているのは元応年間(1319年から1320年)に宇治(宇治市)から来た寺の住持が吉松(湧水町)の般若寺で栽培したものが最初である。
江戸時代に薩摩藩が茶の栽培を奨励し藩内各地で栽培されるようになった。当時の主な産地は阿久根(阿久根市)から吉松にかけての鹿児島県北部地域が中心であり、主として田の畦や屋敷の生け垣で栽培された。江戸時代後期に編纂された薩摩藩の地誌『三国名勝図会』には阿久根、吉松、都城に産するものが名品とされている。
日本の開国をきっかけとして輸出用茶葉の栽培が盛んになり、特に薩摩半島南部と曽於市付近で多くの茶畑が開墾された。明治初期において粗悪品が流通し問題となったため1887年(明治20年)に鹿児島県茶業組合が結成され品質向上が図られることになった。明治初期から1950年代にかけて紅茶用の茶葉の栽培が試みられたが定着しなかった。
1975年(昭和40年)頃から本格的な増産が行われたが、もともと鹿児島茶の知名度が低かったため単独では市場に受け入れられずもっぱらブレンド用として生産された。1985年(昭和60年)頃から地域ブランドとしての販売戦略が強化されている。
[編集] 参考文献
- 中原尚文 「鹿児島県における茶業の発達」 『シラス地域研究 第3号』 シラス地域研究会、1985年
- 南日本新聞社・静岡新聞社 『お茶最前線 鹿児島・静岡平成茶考』 南日本新聞開発センター、1999年、ISBN 4-944075-50-2