鷹司房平
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鷹司 房平(たかつかさ ふさひら、応永18年(1411年)-文明4年11月16日(1472年12月16日))は、室町時代の関白。父は右大臣鷹司冬家。後照光院関白と号した。子に鷹司政平、教玄、性深、政玄、尊雅らがいる。
中将から、応永33年(1426年)正月に従三位非参議に叙せられる。正長元年(1428年)3月権中納言に任ぜられ、累進して、永享7年(1435年)4月内大臣、永享10年(1438年)9月右大臣になり、嘉吉3年(1443年)正月従一位に昇進する。文安3年(1446年)4月左大臣、享徳3年(1454年)7月関白・藤氏長者になる。康正元年(1455年)6月、関白を辞す。応仁の乱以来南都にいたが、文明4年(1472年)11月16日薨去。62歳だった。文道に優れ、一条兼良と親交があった。