鳥居景近
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鳥居 景近(とりい かげちか)は戦国時代の武将。朝倉氏の家臣。
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時代 | 戦国時代後期 | |||
生誕 | 天文19年(1550年)? | |||
死没 | 天正元年8月20日(1573年9月16日) | |||
別名 | 兵庫助(通称) | |||
主君 | 朝倉義景 | |||
氏族 | 鳥居氏 | |||
子 | 鳥居与七 |
朝倉義景の側近中の側近として寵愛を受け、取次役を務めていたと言われる。義景に従って織田信長との戦いに何度も参加している。しかし天正元年(1573年)に織田信長自らが越前に攻め入ってくると、朝倉軍は壊滅し、義景は一族の朝倉景鏡の進言に従って賢松寺に逃れた。このとき、景近も義景に従って賢松寺にいた。そして天正元年(1573年)8月20日、景鏡が信長と通じて裏切り、賢松寺に攻め入ってくると、景近は景鏡の軍勢と戦った後で寺に戻り、義景の介錯を務めた後、自らも後を追って自殺した。