高適
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高適(こう・てき、こう・せき、生年不詳−765年)中国・唐代の詩人。字は達夫、または仲武。諡は忠。
[編集] 略伝
河北省・滄州渤海の出身。磊落な性質で家業を怠り、落ちぶれて梁・宋で食客となっていたが、発憤して玄宗の時に有道科に挙げられ、封丘尉の役職を授けられた。その後官職を捨てて河右に遊歴し、河西節度使・哥舒翰に見いだされて幕僚となった。また侍御史となり、蜀に乱を避けた玄宗に随行し、永王の軍を討伐平定したが、蜀が乱れるに及び蜀州・彭州の刺史となり、西川節度使となった。長安に帰って刑部侍郎・散騎常侍となり、代宗の時に渤海侯に封ぜられ、その地で没した。
[編集] 詩
50歳で初めて詩に志し、たちまち大詩人の名声を得て、一篇を吟ずるごとに好事家の伝えるところとなった。吐蕃との戦いに従事したので辺塞詩も多い。詩風は「高古豪壮」とされる。李林甫に忌まれて蜀に左遷されて汴州を通ったときに李白・杜甫と逢い、悲歌慷慨したことがある。しかし、その李林甫に捧げた詩も残されており、「好んで天下の治乱を談ずれども、事において切ならず」と評された。『高常侍集』8巻がある。
邯鄲少年行 | |
邯鄲城南遊侠子 | 邯鄲城南の遊侠子 |
自矜生長邯鄲裏 | 自ら矜る 生長す邯鄲のうち |
千場縦博家仍富 | 千場博をほしいままにして家なお富み |
幾度報讐身不死 | 幾度か讐を報いて身死せず |
宅中歌笑日紛紛 | 宅中の歌笑日々に紛紛 |
門外車馬常如雲 | 門外の車馬常に雲の如し |
未知肝膽向誰是 | 未だに知らず肝胆 誰に向かって是なるを |
令人却憶平原君 | 人をして却って平原君をおもわしむ |
君不見今人交態薄 | 君見ずや今人交態の薄きを |
黄金用盡還疎索 | 黄金用い盡くせばまた疎索 |
以感嘆辞舊遊 | 以て感嘆舊遊を辞し |
更於時事無所求 | 更に時事に於いて求むる所無し |
且與少年飲美酒 | 且く少年と美酒を飲み |
往来射猟西山頭 | 往来射猟せん 西山のほとり |