高木正坦
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高木 正坦(たかぎ まさひら、文政12年3月13日(1829年4月16日) - 明治24年(1891年)1月31日)は、河内丹南藩の第12代藩主。
美作国津山藩主松平康哉の四男・松平維賢の四男。正室は一柳末延の娘。子は堀田正亨(長男)、高木正秋(次男)。官位は従五位下、主水正。
文政12年(1829年)3月13日生まれ。先代藩主の高木正明に嗣子が無かったため、その養嗣子となり、嘉永元年(1848年)8月23日の正明の隠居により家督を継いだ。大番頭となる。明治2年(1869年)の版籍奉還で藩知事となるが、同年11月18日、養嗣子の高木正善に家督を譲って隠居し、明治24年(1891年)正月31日に63歳で死去した。法号:高樹院殿風誉様堂正坦大居士。墓所:東京都杉並区永福の栖岸院。
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