青岸渡寺
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青岸渡寺 | |
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三重塔と那智の大滝 |
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所在地 | 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山8 |
位置 | 北緯33度40分9.15秒 東経135度53分23.31秒 |
山号 | 那智山 |
宗派 | 天台宗 |
本尊 | 如意輪観音菩薩 |
創建年 | 伝・仁徳天皇治世(4世紀) |
開基 | 伝・裸形上人 |
札所等 | 西国三十三箇所第一番 東海白寿三十三観音 |
文化財 | 本堂、宝篋印塔、那智山経塚出土品8点(重要文化財) 世界遺産 |
那智山青岸渡寺(せいがんとじ)は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある天台宗の寺院。西国三十三箇所第一番札所。本尊は如意輪観世音菩薩。 「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産にも登録されている。
目次 |
[編集] 歴史
熊野三山の信仰が都の皇族・貴族に広まったのは平安時代中期以降であり、青岸渡寺および隣接する熊野那智大社についても創建の時期等については判然としない。伝承では仁徳天皇の時代(4世紀)、天竺(インド)から渡来した裸形上人による開基とされ、同上人が那智滝の滝壺で得た金製の如意輪観音を本尊として安置したという。後に推古天皇の時代(6世紀末 - 7世紀初)に生仏聖(しょうぶつひじり)が伽藍を建立し、丈六の本尊を安置して、その胎内に裸形上人感得の如意輪観音を納めたという。以上はあくまでも伝承であるが、那智滝を中心とする自然信仰の場として早くから開けていたと思われる。
近世までは隣接する熊野那智大社とともに神仏習合の修験道場であり、「如意輪堂」と称された。
明治時代に神仏習合が廃されたとき、熊野三山の他の2つ、熊野本宮大社、熊野速玉大社では仏堂は全て廃されたが、熊野那智大社では如意輪堂が破却を免れ、のちに信者の手で青岸渡寺として復興した。
[編集] 御詠歌
- 補陀洛や岸うつ波は三熊野の那智のお山にひびく滝津瀬
[編集] 伽藍
- 本堂
- 如法堂(大黒堂)
- 尊勝院
- 尊勝院別館
- 写経蔵
- 観照坊
- 宝篋印塔
- 山門
- 瀧宝殿
- 三重塔
- 瀧寿庵
[編集] 重要文化財
- 本堂 - 入母屋造、杮(こけら)葺き。天正18年(1590年)建立。
- 宝篋印塔 - 元亨二年(1322年)の銘がある。
- 那智山経塚出土品(8点)
- 銅造如来立像
- 銅造観音菩薩立像
- 銅造観音菩薩立像
- 金銅大日如来坐像
- 金銅薄肉阿閦(あしゅく)如来坐像
- 金銅薄肉宝生如来坐像
- 金銅薄肉不空成就如来坐像
- 金銅薄肉金剛宝菩薩坐像
経塚出土品は大正7年(1918年)に出土したもので、出土品の一部は熊野那智大社および東京国立博物館の所蔵となっている。銅造如来立像以下の3点は奈良時代の作と思われる。「金銅薄肉大日如来坐像」以下の5点は金剛界立体曼荼羅の一部をなしていたもので、平安時代後期の作品。同時に出土した金剛界曼荼羅諸尊像のうち、無量寿如来坐像、法波羅蜜坐像(金剛法菩薩)、羯磨波羅蜜坐像(金剛業菩薩)、金剛波羅蜜坐像(金剛菩薩)はさまざまな経緯で所蔵先が別になり、東京国立博物館蔵となっている。(大日如来像の光背と台座も東京国立博物館蔵)
[編集] 主な行事
- 2月 節分の日 - 秘仏本尊開扉
- 4月 第2日曜 - 開山祭
- 11月 第1日曜 - 大黒天七福神祭