防長新聞
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防長新聞(ぼうちょうしんぶん)は、山口県東部を中心とした地域で発行されていた地方新聞である。山口県岩国市に本社を置く防長新聞社(日本新聞協会・全国郷土紙連合加盟)によって刊行されていた。
1964年(昭和39年)3月に個人発行の岩国日日新聞として創業。1965年(昭和40年)株式会社化し、時事日本に改称し、1986年(昭和61年)11月21日に防長新報へ改称を経て、1992年(平成4年)12月6日に防長新聞に改称する。“防長新聞”の名称は、かつて山口市にあった『防長新聞合名会社』が刊行していた新聞の名称で、これを買い取ったものであった。
発刊中は毎週月曜日が休刊日となっていた。これは毎週日曜日に編集作業を休むためと推測される。
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[編集] 休刊社告と別新聞社からの新紙創刊
2006年12月、業績不振のため債務超過となっていた防長新聞社が山口地方裁判所岩国支部へ自己破産を申請[1]、2006年12月19日付紙面に「業務上の諸事情により休刊する」との社告を掲載。同日付発行をもって休刊し、制作・販売の全スタッフが同日付で解雇された。休刊の記者会見の席で防長新聞社の笹川徳光社長(岩国商工会議所会頭を兼務していた)は「在日米軍再編問題で米軍岩国基地への空母艦載機移転を容認するスタンスが読者から批判を受けたことが部数の低下などにつながった」と述べている。
防長新聞の休刊によって岩国市内の地元密着情報を配信する媒体を失ってしまった、元読者などの要望に応える形で、2007年(平成19年)4月3日より日刊いわくにが、株式会社 日刊いわくに により正式に創刊された(プレ創刊は同年3月20日)。
[編集] 防長新聞サンデーネット
防長新聞社は、週1回「サンデー○○」の名称でタブロイド判のフリーペーパーを発行していた。毎週末前に新聞折り込みの形で各家庭に配布されており、単独配布は行われていなかった模様。県内各地域ごとに名称と内容を変え、同様のフリーペーパーを発行している。このため、防長新聞社は日本生活情報紙協会に加盟している。発行名称と配布地域は次の通り。なお、いずれも防長新聞休刊と同時に休刊となっている。
なお、以下の「サンデー○○」もこれらと同様にタブロイド判で新聞折り込みの形で配布され、紙面構成も似ているが、防長新聞社とは別の会社が刊行している(このため、防長新聞休刊後も発行が続けられている)。
- サンデー山口(山口市):株式会社サンデー山口が発行。週4回刊(日曜・水曜・金曜・土曜)。
- サンデーしものせき(下関市):株式会社サンデー新聞社が発行。週刊。
- サンデー宇部(宇部市):宇部日報社が発行。週3回刊。
[編集] サンデーネット休刊後
サンデーネット休刊地域において、以下のようなフリーペーパーが創刊されている。
- Cue[キュー] 山口版[2](岩国市、柳井市周辺)
- 岩国市内にて保険代理店業等を営んでいる会社(株式会社 田井ファミリー)が2007年2月16日より新規参入。毎週金曜日刊のタブロイド判。折り込み対象としている新聞名は、公式には発表されていない。単独配布はなされていないと思われる。創刊挨拶文より、生活情報紙の制作・発行経験者を雇い入れての新規参入と推測される。
- さんでー防府版(防府市と山口市の一部)・さんでー周南版(周南市) 両版ともさんでーは平仮名表記
- サンデーしものせきを発行するサンデー新聞社が発行。サンデーしものせきの別刷り扱い。
- SPOT山陰(萩市、長門市)
- サンデー北浦の愛読者の一人が個人事業として開始。2007年9月28日創刊。隔週発行。
[編集] 参考文献
- ^ 2006年12月22日午後0時15分に山口地方裁判所岩国支部により、防長新聞社の申し立てていた自己破産申請に対する破産手続きの開始が決定された(事件番号:平成18年(フ)第247号)。旧社屋には破産管財人により手続き開始の告示文書が張り出されている。
- ^ Cue[キュー]山口版 Vol.1 2/2[FRI] 2007年(平成19年)2月2日
- ^ タイファミリー岩国 創刊号 2007年(平成19年)2月16日