長江健次
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長江健次(ながえ けんじ、1964年7月17日-)は、大阪府豊中市出身の俳優、タレント。所属事務所はアップフロントグループのオフィスアンテナ。大阪府立渋谷高等学校卒業。大阪芸術大学中退。
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[編集] 来歴
高校在学中、萩本欽一による一般公募オーディションに合格し、1981年に『欽ドン!良い子悪い子普通の子』(フジテレビ系)のフツオ役でデビュー。父親役だった萩本とのやり取りの後、居間から出る時の決めゼリフだった「なーっ!」が流行し、一躍ブレイク。ヨシオ役の山口良一、ワルオ役の西山浩司と共に結成した「イモ欽トリオ」としてリリースしたシングル「ハイスクールララバイ」は、150万枚を売り上げる大ヒットとなる。しかし大学受験等のために東京での仕事をセーブするとともに、1982年3月に番組を降板し、イモ欽トリオを脱退。その後、大学進学を機に、関西をメインに芸能活動を再開する。
1982年から1985年まで毎日放送(MBSテレビ)で放送された『突然ガバチョ!』で笑福亭鶴瓶とともに司会を務め、明石家さんまとの『MBSヤングタウン』での共演もこの頃で、関西地区での人気を確かなものとする。
しかしこの芸能活動再開は、萩本欽一を筆頭に、東京での芸能活動時の所属事務所や関係者に対して、一切の相談も断りもない形での再開だったため、萩本らの逆鱗に触れる事となり、長江は現在の事務所の前身となるヤングジャパングループに所属するまで、東京での芸能活動が制限されていた。「欽ドン」の同窓会番組などでも、主要レギュラーメンバーで、長江だけが呼ばれていないことが続いていた。
しかし近年では、萩本欽一とも和解したと見られており、「欽ちゃんファミリー」が集まる番組の多くに、出演するようになっており、2007年の24時間テレビでのマラソン応援など、萩本との共演の機会も度々見られるようになった。
また俳優としても、ドラマ・映画のみならず、多数の舞台に出演。その一方で趣味のスノーボードを活かし、プロのプレーヤーやインストラクターとして活躍している。プロのプレイヤーとしては、オリンピックの選考会にも出場した経験があるほどの本格派であり、インストラクターとしても自身の名前を冠したツアーパックなども行っている。
[編集] 主な出演作品
[編集] テレビドラマ
- 銀河テレビ小説・まんが道(1986年・NHK総合) - 才野茂 役
- 妻よ妻よ(1987年)
- 心はロンリー気持ちは「…」Ⅳ(1986年・フジテレビ)
- 銀河テレビ小説・まんが道 青春篇(1987年・NHK総合) - 才野茂 役
- 土曜ワイド劇場・殺人トリックを盗んだ女(1993年・テレビ朝日)
- 水戸黄門 第23部(1995年・TBS) - 第29話・伊三吉 役
- 水戸黄門 第38部(2008年・TBS) - 第10話・喜六 役
[編集] 映画
- プロジェクトA子(1986年) - ステーション隊員 役
- クレイジーボーイズ(1988年) - ラッキー 役
- バカヤロー!3 へんな奴ら 第一話「こんな混んでどうするの」(1990年) - 西川清 役
- 友子の場合(1996年) - 丸木駅員 役
[編集] Vシネマ
- 大阪パチンコ物語 浪花の勝負師(1992年)
- 悪い金儲け(1992年)
- 難波金融伝・ミナミの帝王4(1994年) - 田所純平 役
- 難波金融伝・ミナミの帝王5(1994年) - 田所純平 役
[編集] ディスコグラフィー
イモ欽トリオ名義の作品はイモ欽トリオのディスコグラフィーを参照。
[編集] シングル
- SHYナ・ガール(1983年10月21日)
- 2度目のサヨナラ(1984年2月25日)
- 飾らない言葉(1984年5月25日)
- 涙・BOY(1984年9月5日)
- ダンナがナンダ(1986年12月1日)
- NINETEEN(1992年5月25日)
[編集] アルバム
- BOY'S LIFE(1983年11月21日)
- 屋根の上の招待状(1984年6月21日)
[編集] 外部リンク
- NAGAEKENJI.COM(公式サイト)
- 長江健次ブログ日記