野見宿禰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
野見 宿禰(のみ の すくね)は、『日本書紀』に登場する人物。相撲の神。
出雲国の勇士で、天穂日命の14世の子孫であると伝えられる。垂仁天皇の命により、当麻蹴速と角力(『日本書紀』では捔力)で互いに蹴り合って腰を踏み折って勝った。当麻蹴速が持っていた大和国当麻の地を与えられ、朝廷に仕えた。
『日本書紀』によると、皇后の葬儀の時、殉死にかえて埴輪の制を案出し、土師臣(はじのおみ)の姓を与えられたとされる(考古学的な知見からこれは伝説であることがわかっている。詳しくは埴輪の項目を参照)。土師氏は代々天皇の葬儀を司り、後に姓を大江や菅原に改めた。大江匡房や大江広元、菅原道真、毛利元就は野見宿禰の子孫ということになる。
片埜神社(大阪府枚方市)の社伝には、当麻蹴速に勝った野見宿禰は、垂仁天皇に河内国(かわちのくに)を賜ったと伝えられる。『播磨国風土記』によると、播磨国の立野(たつの・現在の兵庫県たつの市)で病により死亡し、その地で埋葬されたとある。神魂神社(かもすじんじゃ)の伝承では、この神社の裏山にある「岩」を用いて修行したといわれている。
穴師坐兵主神社(奈良県桜井市)摂社の相撲神社、野見宿禰神社(兵庫県たつの市、東京都墨田区)などに祀られている。
前述の通り、学問の神として知られる菅原道真の先祖であり、菅原氏から公家の五条家が出た。五条家は野見宿禰の子孫であることから相撲司家となった。また、同じく野見宿禰の末裔である大江氏の大江広元の子孫から毛利氏や酒井氏が出たとされる。