野坂康夫
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生年月日 | 1945年6月22日 |
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出身地 | 鳥取県米子市 |
出身校 | 広島大学附属高校 東京大学(中退) |
学位 | ‐ |
前職 | 外務省職員 鳥取県国際交流財団顧問 |
世襲の有無 | 無 |
就任年月日 | 2005年4月 |
退任年月日 | 現職 |
当選回数 | 1回(旧米子市1回) |
所属(推薦)党派 | 無所属 |
ウェブサイト | [ {{{14}}}] |
野坂 康夫(のざか やすお、昭和20年(1945年)6月22日 - )は、日本の外務官僚、政治家。米子市長。
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[編集] 経歴
1945年鳥取県米子市に野坂陞三[1]、千年の長男として生まれる。米子市立就将小学校、米子市立第二中学校、広島大学附属高校を経て東京大学経済学部に入学。大学3年次に世界41ヶ国(現在の国数では48)をヒッチハイクなどで放浪。外交官を志すきっかけとなる。
1969年、東京大学を中退し外務省入省。同期に谷内正太郎、天木直人など。外務省では在中国大使館参事、在英国大使館公使、在バンクーバー総領事、大臣官房国内広報課長、国連局経済課長などを歴任。また、文部省に出向し大臣官房審議官、日本ユネスコ国内委員会事務次長を歴任する。
1998年に米子市長選挙立候補のために退官。2期務めた森田隆朝市長の後継候補の予定であったが、森田市長が引退を撤回し3期目の立候補を表明したために一騎打ちの大激戦となり、僅差で落選。その後は次期米子市長選挙立候補のために米子で活動をすることになり、鳥取県国際交流財団顧問、米子ユネスコ協会常任顧問、広島大学教育開発国際協力研究センター客員研究員などを務める。
2003年に米子市長選挙に2度目の立候補をし当選。2005年には淀江町との合併(新設合併)に伴う米子市長選挙に立候補し当選。
[編集] 人物像
[編集] 家族・親族
- 祖父 野坂康久(実業家、政治家)
- 父 野坂陞三(実業家)
[編集] 関連人物
[編集] 脚注
- ^ 鳥取県郷土人物文献データベース--野坂陞三
- ^ 高校の寮の先輩
- ^ 高校、大学の同級生