那古野山古墳
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那古野山古墳 | |
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所在地 | 愛知県名古屋市中区 |
位置 | 北緯35度9分23秒 東経136度54分15秒 |
形状 | 前方後円墳?(前方部無し) |
規模 | 後円部径22m、墳高3m |
築造年代 | 5世紀中〜後半 |
出土品 | 有蓋脚付短頸壺、須恵器片、円筒埴輪片など |
那古野山古墳(なごのやまこふん)は、愛知県名古屋市中区大須にある古墳。
目次 |
[編集] 概要
「大須古墳群」の内の一つで5世紀中〜後半に造営されたと考えられている。元は前方後円墳であったが、江戸時代に禅寺・清寿院の後園が造営される際に、前方部は取り壊された。清寿院に取り込まれて「浪越山」と呼ばれたのが現在では後円部とされる部分で、直径22メートル、高さ3メートル。
明治5年(1872年)に清寿院は廃され、明治12年(1879年)に愛知県下初の公園(浪越公園)として開放された。明治43年(1905年)に鶴舞公園が開園すると浪越公園は廃止されたが、大正3年(1910年)に規模を大幅に縮小して、名古屋市設置の那古野山公園となった。現在では三方をビルなどに囲まれた状態となっている。
[編集] 年表
- 6世紀頃 - 造営
- 江戸時代 - 清寿院の後園が造営される
- 1879年(明治12年) - 浪越公園として開放
- 1905年(明治43年) - 浪越公園が閉園
- 1910年(大正3年) - 那古野山公園が開園
[編集] 発掘調査
[編集] 平成3年(1991年)12月2日〜7日
- 市環境事業局による公園設置の公衆トイレ改築に伴うもの。
- 道路に面したトイレ周辺の墳丘の一部を掘削。表土に近い部分から埴輪片1点が採集。表土から約1.8メートルまで戦後の撹乱土、その下に明治・大正期の陶磁器片を確認。古墳時代の地層は確認できず。
[編集] 平成7年(1995年)1月30日〜2月2日
- 市農政緑地局による公園整備に伴うもの。
- 墳頂から北斜面にトレンチ(幅1〜1.2メートル、長さ9メートル)を掘削。人力で60センチを掘るも中近世の盛土と判明。更にトレンチの北半分をバックホーで機械堀りするも、約1.5メートルまで中近世の盛土と判明する。2ヶ所を選定して更に掘った結果、2メートルまで中近世層が混在し、その下に埴輪片などの遺物を確認、古墳時代の地層と判断された。
- 発見された遺物
- 中近世層 - 近世いぶし瓦片、山茶碗片、中世陶器片、土師器皿
- 古墳時代層 - 須恵器片1点、複数の円筒埴輪片
これらの発掘調査から、現在残る墳丘部(浪越山)は元々あった円墳部に、後になって盛土などをして改修したものと考えられている。
[編集] 出土品
[編集] 参考資料
- 「那古野山古墳・発掘調査の記録」- 名古屋市見晴台考古史料館・編集、名古屋市教育委員会・発行(平成4年)
- 「名古屋市埋蔵文化財調査報告32 埋蔵文化財調査報告書25」- 名古屋市教育委員会・編集発行(平成7年)
[編集] 関連項目
- 大須二子山古墳
- 日出神社古墳