輜重兵
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輜重兵(しちょうへい、英:Impedimentaer)とは、兵站を主に担当する陸軍の後方支援兵科の一種。陸上自衛隊においては、輸送業務や輸送統制を行う「輸送科」、糧食・燃料などの補給を行う「需品科」に分類される。
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[編集] 概要
戦闘行動の上で兵站業務は極めて重要であり、輜重兵とはこの兵站業務を専門とする兵士である。水食料・武器弾薬・各種資材など様々な物資を第一線部隊に輸送して、同部隊の戦闘力を維持増進することが主任務であり、貨物自動車(トラック)などの大型車両を保有するが、武装は自衛に限定されるため比較的軽装備である。
但し、敵は後方連絡線を断とうとすることから、ゲリラの遊撃や航空阻止の対象となりやすく、いったん攻撃を受けると戦闘力に乏しい輜重兵は大きな損害を受ける場合もある。航空阻止は輜重兵、つまりは補給部隊やその主要交通路(橋・トンネル・鉄道・港湾など)を主な攻撃目標とする。
[編集] 旧日本陸軍の輜重兵
日本軍では国内的な事情で自動車運転免許の取得者自体が非常に少なく、軍隊に入って生まれて初めて自動車に触れる者までいた時代であった。また兵站を軽視していた旧軍では「輜重輸卒が兵隊ならば 蝶々トンボも鳥のうち」などと軽蔑の対象になることもあった。
しかしながら、輜重兵と輜重輸卒とは全く別個の存在で、輜重輸卒は元来軍夫が担っていた単純機械的労働に従事するに過ぎない雑卒であるのに対して、輜重兵は兵卒・下士官クラスであっても多数の輜重輸卒を監督する立場にあり、個々の兵卒の能力が重視された。反面、将校では身体の故障から第一線に服することが困難になった者が転科したり、士官学校での成績が低かったり、素行に問題のあった者が振り分けられることが多く、冷遇されがちであった。
また、輜重兵科は1907年まで陸軍大学校への入校を認められず、以降も第二次世界大戦中まで毎年一人入れるかどうかだった。そのため陸軍幼年学校が陸軍予科士官学校に改組され卒業前に兵科が発表される様になると、輜重兵科と発表された者の落胆は大変なものであった。
[編集] 輜重兵と自動車
第二次世界大戦時、貨物自動車(トラック)を中心とした陸上輸送能力があったのはアメリカ軍やその車輌を供与された同盟国だけで、機甲師団が有名なドイツ軍ですら馬匹輸送の方が多かった。近代陸軍の兵站能力はその国のモータリゼーションと密接に関係しているのがわかる。