足柄県
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足柄県(あしがらけん)は1871年から1876年まで存在した県。現在の神奈川県西部および静岡県東部(伊豆地方)に相当する。県庁所在地は小田原。
1867年10月の大政奉還の時点で、相模国西部には小田原藩、荻野山中藩、武蔵金沢藩などの藩領があり、相模国内の幕府直轄領は伊豆国内のものとともに韮山代官所の支配下にあった。1868年6月、明治新政府は韮山代官所に代えて韮山県を設置し、相模国内と伊豆国内の旧幕府・旗本領をその管轄とした(ただし、相模国内の旧幕府・旗本領の一部は神奈川県の管轄とされた)。1871年7月14日の廃藩置県によって小田原藩、荻野山中藩、六浦藩(武蔵金沢藩から改称)などが廃止され、それぞれ小田原県、荻野山中県、六浦県となった。しかしこの段階の区画は多くの飛地を持つ従来の藩領を基本的に引き継いだものであり極めて錯綜していた。そのために同年11月14日、関東地方で府県の整理・統合が行われ、相模国の西半と伊豆国全域をもって足柄県が設置された。
同日付の太政官告示で定められた足柄県の管轄区域は以下の通りである。
- 相模国 - 足柄上郡、足柄下郡、高座郡、愛甲郡、淘綾郡、津久井郡
- 伊豆国 - 田方郡、君沢郡、賀茂郡、那賀郡、七島
このうち高座郡については、この地域が安政の五ヶ国条約による外国人の遊歩区域に含まれることから神奈川県の所属に改められ、相模川が神奈川県との境界となった。これによって小田原県、荻野山中県、韮山県を統合して足柄県が設置され、上記区域内に分布していた六浦県などの飛地も足柄県の管轄下に編入された。一方で、従来韮山県が管轄していた武蔵国内などの区域は神奈川県などの管轄下に編入された。
1876年4月18日に足柄県は廃止され、東半の相模国分が神奈川県に、西半の伊豆国分は静岡県に編入された。
県庁は足柄下郡小田原に置かれた。県令は当初任命されず、参事に任命された柏木忠俊が県政を統括した。柏木は1872年7月25日に権令、1874年9月3日に県令に任ぜられ、1876年の廃止まで務めた。
伊豆国に属する七島(伊豆諸島)は本県の管轄であり、本県の廃止とともに静岡県に編入された。