足利頼純
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足利 頼純(あしかが よりずみ・足利 頼淳、天文元年(1532年) - 慶長6年(1601年))は足利義明の次男で小弓公方家の当主。足利国朝・足利頼氏の父。喜連川(きつれがわ)頼純と呼ばれることもある。
1538年に国府台合戦で父・義明が戦死すると、里見氏を頼って落ち延び、その庇護を受けた。後に諸国を流浪したが、北条氏が豊臣秀吉による小田原征伐によって下総から北条軍が撤退すると、その機に乗じて里見義康とともに父が住した小弓城を奪還した様である。
娘の嶋子が豊臣秀吉の側室となったことと、足利氏の血を引くことから大名として復帰を許され、下野喜連川城を領した。
なお、一般的には「頼純」と表記されているが、今日遺されている本人の直筆の署名の名乗りは「頼淳」である。