豊臣鶴松
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時代 | 安土桃山時代 | |||
生誕 | 天正17年5月27日(1589年7月9日) | |||
死没 | 天正19年8月5日(1591年9月22日) | |||
別名 | 棄(幼名)、羽柴鶴松 | |||
氏族 | 豊臣氏 | |||
父母 | 父:豊臣秀吉、母:浅井長政の娘・淀殿 | |||
兄弟 | 羽柴秀勝、豊臣鶴松、豊臣秀頼 | |||
妻 | なし | |||
子 | なし |
豊臣 鶴松(とよとみの つるまつ)は、豊臣秀吉の長男(異説あり)。母は側室の淀殿。同母弟に豊臣秀頼。幼名は棄(すて)。
[編集] 生涯
天正17年(1589年)5月27日、豊臣秀吉の長男として山城の淀城で誕生する。このとき秀吉53歳という高齢であった。
実子を失っていた秀吉の晩年の子であったため、後継者として期待されるが、天正19年(1591年)閏1月に発病し、一旦は快復したものの、8月5日に大坂城にてわずか3歳で病死した。