谷川明美
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谷川 明美(たにがわ あけみ、1966年11月14日 - 2007年7月14日)は、東海ラジオ放送の元アナウンサー。
[編集] 経歴・人物
愛知県名古屋市出身(「生粋のナゴヤっ子」とは本人の言葉による)。
優しさと甘さを兼ね備えた独特の声質で、多くのリスナーを魅了した。
1993年10月の入社以来多くの帯番組を担当していたが、2007年3月24日より体調不良のためアナウンス業務を休養する事になり、4月から担当する事が発表されていた新番組「谷川明美の花鳥風月」も急遽中止となり、別番組に差し替えの措置が取られた。
自宅療養を続け、一時は特別番組のナレーションを勤めるまでに回復していたが、2007年7月14日、乳癌のため40歳の若さで急逝。東海ラジオのアナウンサーとして在籍したままの悲報となった。
2007年11月6日に「報道ステーション」(テレビ朝日系)のコーナー「さよなら…」で紹介された。紹介された後、キャスターの古舘伊知郎は「これだけ愛されたアナウンサーが在職中にがんで亡くなるのは悲しいです。」と語った。古舘の姉もがんで亡くなっており、その時の悲しさを思い出して古館も複雑な心境だったに違いない。
[編集] 出演番組
- 谷川明美のちょっと小粋な日曜日(1999年10月~2001年3月 日曜日)
- 夜はこれから(2001年10月~2002年3月 月曜日担当 2002年10月~2003年3月 水曜日担当)
- 癒し癒され人生応援団(~2006年1月 火曜日 かにタク言ったもん勝ち内)
- サタモニ・フリーウェイ(2002年4月~2007年3月 土曜日)
- JOMO童話の花束(~2007年3月 サタモニ・フリーウェイ内 安蒜豊三アナウンサーとの朗読は秀逸だった)
- 小島一宏 モーニングあいランド(2005年10月~2007年3月 木曜日及び金曜日担当)
- 奇数時の時報読み上げ(2005年4月~2007年4月 提供:チタカ・インターナショナル・フーズ)
※なお、その優しい語り口から、多数の企業コマーシャルや特別番組でのナレーションを担当していた。休養前最後の出演番組は2007年3月23日の「小島一宏 モーニングあいランド」(メインパーソナリティの小島一宏が休暇中だったため、ピンチヒッターの源石和輝アナウンサーとのコンビ)であり、翌日の「サタモニ・フリーウェイ」には谷川アナのピンチヒッターとして山崎聡子アナウンサーが起用された。また、生前最後に出演した番組は、2007年5月27日の26時15分から26時45分まで放送された、奇しくも自らと同じ癌患者を取り上げた報道特別番組「~その声が聞きたい~ 患者は声を求めている」のナレーションである。
[編集] 性格・パーソナリティなど
- 「ちょっと小粋な日曜日」や「癒し癒され人生応援団」での落ち着いた語りから、東海ラジオの女性アナウンサーの中でも屈指の「癒し系」として知られ、「ラブリー谷川」の愛称で知られた。老若男女を問わず、安定した人気を持つアナウンサーであった。
- 神野三枝はよく谷川の事を「永遠のライバル」と称していた(無論ネタとしてであるが)。
- アナウンサーとしてはしっとりと落ち着いたトーンの語り口で知られたが、名古屋出身である彼女は、平時は名古屋弁を話していたそうである(元同僚である相羽としえの話による)。
- 日本野鳥の会の会員であり、気象友の会の会員でもあった。また、美術館巡りも趣味としており、それらの趣味を生かして東海ラジオ公式HPにおいて「谷川写真日記」を公開。毎月のように更新されていた。また、「小島一宏 モーニングあいランド」の公式HPには「谷川週末日記」として日記を綴っていた。山崎聡子アナ、浅田若菜アナ、川島葵アナと並び、アナウンサー紹介ページ内のオリジナルコンテンツ(日記)の更新頻度が高かった。