證誠寺 (木更津市)
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證誠寺 | |
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本堂 |
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所在地 | 千葉県木更津市富士見2-9-30 |
位置 | 北緯35度22分47.38秒 東経139度55分16.33秒 |
山号 | 護念山 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
創建年 | 江戸時代初期(17世紀中葉) |
開基 | 了念法師 |
證誠寺(しょうじょうじ)は、千葉県木更津市にある寺院で浄土真宗本願寺派に属する。寺に伝わる伝説『狸囃子』は日本三大狸伝説の一つとして数えられる。この伝説を元に童謡『証城寺の狸囃子』が作詞作曲された。境内には「狸ばやし童謡記念碑」などがあり、毎年秋には狸の供養として狸まつりが行われる。
尚、童謡のタイトルを漢字で証城寺(「じょう」の字が「城」)と表記しているが、これは、童謡の舞台は同寺院をモチーフとした架空の寺院であると位置付けしている為であり、実際の住所表記としては誤りである。証誠寺と表記される場合もあるが、これは「證」の新字体が「証」であるためである。
目次 |
[編集] 所在地と交通
[編集] 境内
[編集] 證誠寺の狸伝説
證誠寺に伝わる伝説であり、いつの頃に成立したかは不明。『分福茶釜』(群馬県館林市)や『八百八狸物語』(愛媛県松山市)と並び日本三大狸伝説の一つに数えられている。内容は「秋の夜に和尚と何十匹もの狸が寺の庭で囃子合戦をした挙句、夜が明けたら腹鼓で調子を取っていた大狸が腹を破いて死んでいた」という面白くも悲しい物語であり、境内には物語の結末で腹を破って死んでしまった大狸の供養のために作られたという狸塚がある。この伝説を元に詩人の野口雨情が作詞、中山晋平が作曲して、1924年(大正13年)童謡『証城寺の狸囃子』として発表した。
[編集] あらすじ
その昔、證誠寺の辺りは「鈴森」と呼ばれていた。そこは竹やぶが鬱蒼と生い茂り、昼でも薄暗い薄気味悪い場所であったという。また、この辺りには夜になると一つ目小僧やろくろ首などの物怪が現れると噂されていた。
そんな證誠寺に、ある日新しく一人の和尚がやって来る。その晩から、噂に違わず一つ目小僧やらろくろ首やら物怪が現れるのだが、和尚は全く驚かない。
実はこの物怪達の正体は、この森を住処とする狸たちであった。彼らは、一つ目小僧やろくろ首に化けては訪れる人間たちを驚かし楽しんでいたのである。ところが、新しくやってきた和尚が全く驚く様子も無く平然としているので、狸たちのしゃくに障り、親分格の大狸は「ぜひとも和尚さんを驚かせてやろう」とある事を思いつく。
ある秋の晩の事、何者かが静寂を裂くような音を出しながら寺の庭で大騒ぎしている。寝ていた和尚は目を覚まし、外の様子に耳を凝らしてみると、それはお囃子のようであった。不思議に思いこっそり庭を覗くと、庭の真ん中では大狸が腹を叩いてポンポコと調子を取り、それを囲むように何十匹もの狸が楽しそうに唄い踊っていた。
その様子を見ていた和尚もつい楽しくなってしまい、自慢の三味線を持って思わず庭に出てしまう。そんな和尚を見て狸たちは「まだ驚かないのか!?」とばかり、さらに大きく腹鼓を鳴らす。和尚も負けじとばかりに三味線で対抗し、まるで和尚と狸の音楽合戦である。それから毎晩、和尚と狸たちは唄い踊っていたのだが、4日目の晩、狸たちが一向に現れないので和尚が不思議に思っていると、翌朝、庭には調子を取っていた大狸が腹を破って死んでいた。不憫に思った和尚はその大狸を懇ろに弔ってやる。
[編集] イベント
毎年10月中旬には地元の小学生が狸伝説を模して踊る狸まつりが開催される。